西武側(当時)の芦ノ湖遊覧船(手前)と小田急側の箱根海賊船(奥)
背景: 戦後の箱根・伊豆周辺への交通機関の輸送シェア争い
年月日: 1945年頃 - 1968年12月2日(正式な調停日)
場所:
静岡県熱海市、伊東市などの伊豆半島東海岸側など
結果:経済面では東急・小田急側が、訴訟案件では西武側が圧勝
観光バスの相互乗り入れ協定に調印(和解)
伊豆戦争(1953年 - )の誘発、両陣営の対立の激化
両社での箱根周辺の観光ルート構築
両社間における相互直通運転実施などの企業間での協調
対立勢力
西武グループ
小田急グループ・東急グループ
代表者
堤康次郎
堤清二
堤義明
中島陟
内山岩太郎(神奈川県知事)
安藤楢六
柴田吟三
他多数
箱根山戦争(はこねやませんそう)は、第二次世界大戦後に1968年12月2日まで堤康次郎率いる西武グループと安藤楢六率いる小田急グループ及びそのバックに付いた五島慶太の東急グループの間で、20年以上にわたって繰り広げられた輸送シェア争いの通称である。
巨大グループ同士の衝突が熾烈を極めたため、舞台となった箱根山の名を冠して「戦争」と呼ばれ、「箱根山サルカニ合戦」とも揶揄された[注釈 1]。
1953年頃からの西武傘下の伊豆箱根鉄道と東急傘下の伊豆急行による、伊豆半島の東海岸を舞台とした「伊豆戦争」があり、一緒に語られることが多い。
作家の獅子文六はこの争いを題材とした小説『箱根山』を『朝日新聞』に連載し、同小説は後に川島雄三によって東宝で映画化された。 西武グループと東急グループは長野県軽井沢地区および群馬県草津地区でも、箱根土地(コクドを経て現:プリンスホテル)および傘下の西武高原バス(現:西武観光バス軽井沢営業所)と、東急傘下の草軽電気鉄道(現:草軽交通)による観光地でのシェア争いを繰り広げていたことでも知られる。
概要