箕面_(敷設艦)
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箕面
1946年末から1947年初め、因島で解体直前の「箕面」[1]
基本情報
建造所浪速船渠[2]
運用者 大日本帝国海軍
艦種敷設艦[3]
母港呉[4]
艦歴
計画マル戦計画[1]
起工1944年11月29日[2]
進水1945年5月13日[2]
竣工1945年8月5日[2][5]
除籍1945年10月5日[4]
その後戦後復員輸送任務[6]
1947年解体[1]
要目
基準排水量3,224英トン[7][5]
満載排水量5,200トン[7][注釈 1]
総トン数2,300総トン[7]
全長91.7m[7]
水線長86.25m[7]
垂線間長85.00m[7]
最大幅13.42m[7]
深さ7.20m[7]
吃水公試または満載 5.85m[7][注釈 2]
引渡時 4.1m[5]
ボイラー石炭専焼円缶1基[2]
主機甲12型単式タービン1基[2]
推進1軸[2]
出力計画 1,200馬力[7][1]
引渡時 1,100馬力[8]
速力計画 11.0ノット[7][1]
引渡時 9ノット[5]
燃料引渡時 石炭318.5トン[9]
航続距離引渡時 1,828カイリ / 6.0ノット[5]
乗員110名(敷設艦としての仮定員[10]
103名(特別輸送艦としての定員[11]
兵装45口径十年式12cm単装高角砲1門[12]
九六式25mm機銃 3連装2基、連装2基、単装4挺、計14挺[12]
三式投射機2基、装填台2基[12]、爆雷投下軌道1条[12]または2条[1]
爆雷24個[12]
6号機雷380個[13]
搭載艇9m内火艇1隻、9mカッター2隻[14]
レーダー13号電探1基[1]
ソナー仮称五式一号水中聴音機1組[1][15]
三式探信儀[16]1組[12]
テンプレートを表示

箕面(みのお)は[17]日本海軍敷設艦[3][6]。起工直後の戦時標準船を買収し改造した[6]。竣工が遅かったため実戦での活動は無く、戦後復員輸送に従事した[18]。艦名は名勝の名で、箕面川の渓流は古くからの紅葉と滝の名所だった[17]
概要

太平洋戦争終盤となると本土決戦に備え機雷敷設艦が多数必要となったが、既にほとんどの敷設艦は戦没して大型の敷設艦は「常磐」しか残っていなかった[6]。そこで1944年(昭和19年)末頃に急遽、戦時標準船2D型3隻と2E型2隻を改造、また測天型(平島型)を簡易化した敷設艇(後の神島型敷設艇)を急造することになった[19]1944年9月2日に竣工していた2D型「永城丸」(東亜海運)を昭和20年2月から3月に改造[6][20]。続いて大阪浪速船渠で建造予定の2D型7番船(日本海軍仮称第1821号艦)と8番船(日本海軍仮称第1822号艦)を日本海軍が買収し、機雷敷設艦として改造した[21][6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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