筑紫の五節
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筑紫の五節(つくしのごせつ)とは、源氏物語に登場する架空の人物。
概要

光源氏の女君の一人であるが、五節の舞姫を務めた際に光源氏と関係を持ったとみられるが、光源氏との関係を持った場面そのものは直接には描かれておらず、光源氏が過去を思い出したり文をやりとりしたりするという形でのみ登場する。父親の大宰府への赴任に従って九州に下向していたが、光源氏が須磨に退去していた時期に大宰府での任期を終えた父に従って筑紫から上京することになり、須磨の近くを通りかかった際に光源氏と和歌を詠み合うものの、直接出会うことはなく終わり、その後もしばしば五節の行事があるたびに「思い出す人物」として描かれている。

六条御息所朝顔の姫君などとともに現存する54帖からなる源氏物語においては光源氏との交流そのものは直接には描かれていない女君の一人であり、その模様は「輝く日の宮」など、現在では失われてしまった巻に描かれていたのではないかとしてそのような「失われた巻」が存在したとする説の根拠にされることがある[1]。これとは逆に、このような記述を置くまで源氏物語の構想や構造の問題として捉え、それで説明できるとする立場もある[2]

作品中の人物としては、同じく筑紫にいたとされるという点で玉鬘と対比され[3]、数少ない国名を冠した通称を持つ人物として近江の君と対比されることもある。
モデル

この筑紫の五節には、紫式部集紫式部との贈答歌がとられている(6番・7番)、「筑紫へ行く人の女」と記されている、紫式部とお互いに「あね」「いもうと」と呼び合う関係にあるほど親しかった親の赴任に従って九州へ附いていき京へ戻ることなく現地で死去した女性との関連が指摘されている[4]
登場する巻

筑紫の五節は直接には以下の巻で登場し、本文中ではそれぞれ以下のように表記されている[5]

第11帖 花散里 筑紫の五節

第12帖 須磨 五節の君、五節

第13帖 明石 五節、帥の娘

第14帖 澪標 五節、女

各巻での活動

光源氏はかつて「五節の舞姫」として会い「ろうたけた女だと思った」ことを思い出す。(第11帖 花散里

筑紫から上京し、舟で須磨を通りかかった際に、須磨にいた光源氏と文を通わせるが会うことはない。(第12帖 須磨)(第13帖 明石

光源氏の事を思って父の進める縁談に耳を貸さない。光源氏は引き取って子供の後見にでもしようかと考える。(第14帖 澪標

五節の際、昔の女(筑紫の五節)のことを思い出して文を贈る。(第21帖 少女

五節の際、昔のことを思い出して文を贈る。(筑紫の五節とは記されないが、古注釈の「細流抄」などによればこれは筑紫の五節のことであるとされる)(第41帖 幻
参考文献

篠原昭二「作中人物事典 筑紫の五節」『源氏物語事典』 秋山虔編、学燈社〈別冊国文学〉No.36、1989年(平成元年)5月10日、p. 288。

「筑紫の五節」『源氏物語事典』 林田孝和・竹内正彦・針本正行ほか編、大和書房、2002年(平成14年)、p. 278。
ISBN 4-4798-4060-5

加藤宏文「源氏物語端役の去就--筑紫の五節がらうたげなりしはや」山口大学教育学部図書委員会編『山口大学教育学部研究論叢. 第1部, 人文科学・社会科学』通号第48号、山口大学教育学部、1998年(平成10年)12月、pp. 35-47。

脚注[脚注の使い方]^ 風巻景次郎「源氏物語の成立に関する試論」『風巻景次郎全集 第4巻 源氏物語の成立』桜楓社、1969年(昭和44年)11月。
^ 加藤宏文「須磨巻 筑紫の五節 -「日影の霜」への始発-」『源氏物語の端役たち』溪水社、2006年(平成18年)12月、pp. 69-74。 ISBN 4-87440-953-9
^ 斎藤正昭「筑紫の五節から玉鬘へ-玉鬘筑紫下向の着想について-」いわき明星大学日本文学会「文学・語学編集委員会」編『いわき明星文学・語学』第6号、いわき明星大学日本文学会、1997年(平成9年)10月、pp. 25-37。 のち斎藤正昭『源氏物語成立研究 執筆順序と執筆時期』笠間叢書、笠間書院、2001年(平成13年)1月、pp. 35-52。 ISBN 978-4-305-10341-3
^ 斎藤正昭「朝顔の姫君と筑紫の五節登場の謎 -『紫式部集』との関係から-」いわき明星大学人文学部編『いわき明星大学人文学部研究紀要』第10号、いわき明星大学、1997年(平成9年)3月、pp. 49-58。 のち斎藤正昭『源氏物語成立研究 執筆順序と執筆時期』笠間叢書、笠間書院、2001年(平成13年)1月、pp. 21-34。 ISBN 978-4-305-10341-3
^ 稲賀敬二「作中人物解説 筑紫の五節」池田亀鑑編『源氏物語事典下巻』東京堂出版 1960年(昭和35年)(合本は1987年(昭和62年)3月15日刊)、p. 369。 ISBN 4-4901-0223-2










源氏物語
人物

光源氏と親兄弟

光源氏

桐壺帝

桐壺更衣

朱雀帝

蛍兵部卿宮

八の宮

女君

藤壺中宮

葵の上

紫の上

明石の御方

花散里

女三宮

空蝉

軒端荻

夕顔

末摘花

源典侍

朧月夜

朝顔の姫君

六条御息所

筑紫の五節

子女

冷泉帝

夕霧

明石中宮



左大臣家

頭中将

左大臣

大宮

右大臣の四の君

柏木

紅梅

雲居の雁

玉鬘

近江の君

宮の御方


その他

先帝

前坊

右大臣

弘徽殿女御

兵部卿宮

式部卿宮の北の方

藤式部丞

藤原惟光

藤典侍

源良清

宣旨の娘

秋好中宮

王命婦

北山の尼君

明石入道

明石尼君

大夫監

髭黒

髭黒の北の方


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