筑波鉄道_(初代)
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筑波鉄道株式会社(つくばてつどう)は、茨城県にかつてあった鉄道路線バス事業等を行っていた日本会社である。常総筑波鉄道を経て関東鉄道となった。運営していた筑波線については再び分社化され筑波鉄道(2代目)となったが、1987年(昭和62年)廃線となった。
目次

1 概要

2 歴史

3 鉄道事業

3.1 路線

3.2 輸送・収支実績

3.3 車両

3.3.1 車両数の推移



4 バス事業

4.1 車両


5 脚注

6 参考文献

7 関連項目

概要

筑波鉄道は、明治末期に茨城県の土浦から下館を結ぶ軽便鉄道として企図された。その後真壁から岩瀬に変更され、建設され1918年(大正7年)に開通した。筑波町や真壁町の有力者が出資者として連ねている。貨物では真壁の石材の輸送、また、筑波山の観光客を輸送して成り立った。岩瀬から先宇都宮までの延長計画を持っていたが実現できなかった。昭和に入り自動車会社の路線を引き継ぎバス事業に参入するものの、戦争によるガソリン統制により輸送キロが落ち込んだ。鉄道もガソリン車から蒸気機関車が主力に戻る。昭和18年に鉄道の戦時統合政策により常総鉄道に吸収合併されることになり、1945年(昭和20年)に統合して常総筑波鉄道となった。
歴史

1910年(明治43年)4月30日 筑波鉄道発起人千葉の圓尾卓爾らが土浦より下館に至る軽便鉄道敷設を出願。物資の輸送による産業の振興、筑波山への旅客に対する交通機関として計画。コースは土浦 - 真鍋 - 藤沢 - 小田 - 北条 - 筑波 - 村田 - 嘉田生崎 - 下館。

1911年(明治44年)4月20日 軽便鉄道敷設の免許が下りる[1]。以後数度にわたる工事施工関係申請期限の延長。

1912年(明治45年)6月4日 軌間を2フィート6インチから3フィート6インチとする変更認可。

1913年(大正2年)3月22日 真壁 - 下館間を真壁 - 樺穂 - 雨引 - 岩瀬(水戸線接続)に変更申請。

1914年(大正3年)4月11日 筑波鉄道株式会社設立総会[2]。出資者は筑波町、真壁町、土浦町の有力者及び筑波山神社氏子など。

1915年(大正4年)2月1日 工事施工の認可。実際の工事は大正5年2月から鹿島組の施工。

1918年(大正7年)4月17日 土浦 - 筑波間が開業[3]。1日6往復。2等、並等、手荷物緩急車、郵便車の4両編成。土浦―筑波間、並等38銭。

1918年(大正7年)6月7日 筑波 - 真壁間が開業[4]

1918年(大正7年)9月7日 真壁 - 岩瀬間が開業[5]

1919年(大正8年)3月20日 本社を東京から真鍋に移転。この年の貨物量(移出)の内訳は、石材21%、肥料15%、木材11%、米9.2%、麦5.4%、瓦・土器4.2%。

1923年(大正12年)樺穂 - 山元間のトロッコ軌道が敷設。

1925年(大正14年)10月1日 それまでの鎖装置の連結器から自動連結器の取付工事実施。

1925年(大正14年)10月12日 筑波山鋼索鉄道が筑波山神社 - 山頂に関東地方での2番目のケーブルカーを敷設、人気を集め筑波鉄道も収入増。

1926年(大正15年)5月 国鉄上野 - 筑波間に臨時直通列車を運転。

1926年(大正15年)12月17日 岩瀬 - 宇都宮間宇岩線の路線延長免許申請。

1928年(昭和3年)5月26日 鉄道免許状下付(西茨城郡岩瀬町-宇都宮市間 )[6]測量を行ったものの昭和9年工事施工延長申請却下[7]

1933年(昭和8年)10月14日 笠間自動車商会から岩瀬 - 筑波間の乗合自動車営業権譲受。12月23日営業開始。

1934年(昭和9年)11月15日 霞自動車株式会社から土浦・真鍋 - 筑波間のバス路線と乗合車両、営業権を譲受。

1936年(昭和11年)5月28日 筑波自動車商会と合併。筑波自動車は筑波 - 筑波神社前、筑波 - 石岡路線のほか、貸切バス事業も行っていた。


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