筑波大学附属中学校・高等学校
筑波大学附属中学校・高等学校校門
筑波大学附属中学校・高等学校(つくばだいがくふぞくちゅうがっこう・こうとうがっこう、英: Junior and Senior High School at Otsuka, University of Tsukuba)は、東京都文京区大塚一丁目にある共学の国立中学校・高等学校。通称は「筑附(つくふ)」、「附属(ふぞく)」[注釈 1][注釈 2]。 1888年(明治21年)に高等師範学校(官立)の尋常中学科として江戸幕府直轄の昌平黌跡に設立されて以来、130年以上の歴史を有する国立の進学校。旧制中学校であった戦時中には、当時の文部省の指定に基づき、特別科学学級が設置された[1]。 1950年より男女共学となり、現在は中学校、高校ともに外部からの入学を受け入れているが、完全な中高一貫校ではなく、中学から高校へは、内部連絡入試を経て、男女それぞれ上位80名が進学できる。内部連絡入試に合格した者は、他校を受験することはできない。1学年の生徒数は中学205名、高校240名である。なお、中学では学年の3分の2程度、高校では3分の1程度が附属小学校からの内部進学者である。また、筑波大学の附属校であるが、同大学への内部進学枠は存在しない。 中学校には制服があり、男子は、明治期創設の学習院中・高等科と似た、海軍兵学校(現:海上自衛隊幹部候補生学校)学生服型(ネイビーブルー。セーラー服同様に着丈が短く、詰襟で前合わせもホック留め、前合わせ・襟・袖に黒の蛇腹リボン装飾の上着。昔の海軍士官型でもある。日本海海戦の写真参照。同型は巣鴨中学校・高等学校が採用)、女子はセーラー服である。過去の男子制服には帽子も付帯し、古い時代には登下校時、校門守衛所を通る際に脱帽し、帽子を脇に抱えて礼をするなどの着用義務があったが、現在は随意である。 高校もかつては中学と同じ制服を使用したが、1970年(昭和45年)2月に生徒自治会および教員委員会の決定によって服装既定が廃止され、現在は私服である。 中学は「強く、正しく、朗らかに」を、高校は「自主、自律、自由」をそれぞれモットーとする。 現役生は、自校のことを「筑附」や「筑波」と称することが多いが、まだ東京教育大学附属時代の卒業生がいることや、脚注2 の理由があり、卒業すると、単に「附属」と呼ぶことが多い。 育てたい資質として次の7つを挙げている。 学習院高等科、学習院女子高等科との間で毎年6月に行われるスポーツの定期戦である。 1896年(明治29年)、旧制学習院中等科(現:学習院高等科)との間で、柔道部と野球部の対抗戦が始まり[2]、その後、1904年から1940年の間に端艇部、陸上競技部、射撃部、水泳部が順次参加。1944年に戦況悪化のため中止後、1947年に再開。1948年に剣道、庭球、卓球が参加して、1951年に男子の定期戦総合化(この回を第1回としている)、1952年に女子の定期戦開始(排球、籠球、庭球、卓球)、1956年にすべての種目において男女合同化し、1966年(昭和41年)、全員参加のスポーツ大会となった。当時の種目は、男子が野球、柔道、籠球、排球、蹴球、卓球、硬式庭球、陸上、水泳、馬術、女子は籠球、排球、卓球、硬式庭球であった[3]。 現在は正式種目として、男女陸上、男女籠球、男女水泳、男女硬式庭球、男女排球、野球、蹴球、男女剣道、柔道、女子バドミントン、卓球、馬術、ボートがあり、その他に一般種目として年度によって、フットサル、ドッジボール、大縄や他競技のエキシビションマッチが行われることもある。 この6月のスポーツの定期戦は、筑波大学附属高校では「院戦」、学習院では「附属戦」の名で親しまれている[4](ただしボート競技は毎年4月に行われる[5]。)。 開成高校とのボート部の定期戦である。1920年(大正9年)[2]、東京開成中学校(現:開成中・高)とボートレース(通称「開成レース」)が始まり、現在も毎年4月に戸田漕艇場で行われる、日本で最も歴史を持つ[6]学校間定期戦である(2021年現在、46勝46敗[7])。 伝統的な対校戦としては、1947年(昭和22年)から始まった対神奈川県立湘南高等学校サッカー部定期戦(通称「湘南戦」)もある[8][9]。 また、毎年9月には文化祭、「桐陰祭」が2日間に渡り開催される。 中華人民共和国の北京師範大学第二附属中学 1888年(明治21年)11月に五三の桐の校章が制定された。その桐章は、明治天皇の行幸の際、皇室の御紋章である五七の桐章を校章に用いるようご沙汰を頂いたことによる。しかし五七の桐では不敬にわたることがあってはとの理由で五三の桐となった[10]。 1902年(明治35年)、卒業生の穂積重遠(10回1901年卒)による提唱で、山根磐と宮島秀夫(共に12回1903年卒)が作詞し、鈴木米次郎(本校の旧教官)が作曲した「桐陰会会歌」が、校歌に当たるものとして制定され、現在に至るまで「桐陰会歌」の名で歌い継がれている[11]。
概要
沿革校舎(体育館)「東京高等師範学校#附属学校」も参照
1872年 - 神田昌平黌(かんだしょうへいこう)跡(現:湯島聖堂)に官立の師範学校を創設
1888年 - 高等師範学校に尋常中学科を設置(本校の創立)
1896年 - 高等師範学校から分離し、高等師範学校附属尋常中学校となる
1899年 - 高等師範学校附属中学校と改称
1902年 - 東京高等師範学校附属中学校と改称
1929年 - 長野県芦田村に高原寮(現:蓼科桐陰寮)を設置
1940年 - 小石川区大塚町56(現在地)の新校舎に移転
1947年 - 学制改革により、東京高等師範学校附属中学校となる
1948年 - 学制改革により、東京高等師範学校附属高等学校となる
1949年 - 東京教育大学附属中学校・高等学校と改称
1950年 - 高校1年より男女共学始まる
1978年 - 筑波大学附属中学校・高等学校と改称
1996年 - 中学・高校体育館完成
2004年 - 国立大学法人筑波大学に移管
2008年 - 創立120周年を迎え、記念式典が挙行される
2014年 - 桐陰会館が竣工。文部科学省よりスーパーグローバルハイスクール (SGH) の幹事校としての指定を受ける
2018年 - 創立130周年を迎え、記念式典が挙行される
教育方針
中学校
自主自律の精力
強い意志とたくましい実践力
積極的な創意と探究力
広い視野に立つ正しい判断力
明朗率直で誠実な態度
集団生活における協力と責任
人間愛にもとづく思いやりの心
高等学校
自主・自律・自由をモットーとしています。
全人的人間の育成という本校の伝統的教育精神を基盤として、知育、徳育、体育の調和をはかります。
教科教育においては、特に、体系的かつ基本的な知識・技能・態度の修得の徹底を期しています。
特別教育活動においては、計画的、実践的、協力的人間の育成と生徒の個性の伸長につとめます。
生徒指導においては、生徒の個人的な現実の問題解決を援助するとともに、将来の進路の開拓を指導します。
学校行事
中学校
4月 - 入学式、始業式、総合健康診断
5月 - 修学旅行(3年)、校外学習(1年:社会科、2年:理科、3年:美術科)
6月 - 前期中間考査
7月 - 黒姫高原生活(2年)、富浦海浜生活(1年)、夏休み
8月 - 夏休み
9月 - 教育実習期間、開校記念日、運動会、前期期末考査
10月 - 開学記念日、前期終業式、秋休み、後期始業式
11月 - 学芸発表会、委員長陣(生徒会役員)選挙、研究協議会、後期中間考査
12月 - 合唱発表会、生徒会総括、冬休み
1月 - 冬休み、委員長陣所信表明、生徒会団体基本方針
2月 - 入学試験、学年末考査
3月 - ファイナルコース(3年)、卒業式、修業式、春休み
高等学校
4月 - 入学式、前期始業式、対面式、開成レース(ボート部対開成高校定期戦)
5月 - 校外学習(2学年)、生徒総会
6月 - 院戦(対学習院総合定期戦)、前期中間考査、進路説明会
7月 - 蓼科生活(1学年)
8月 - 各部合宿、学校説明会
9月 - 桐陰祭(文化祭)
10月 - 前期期末考査、前期終業式、後期始業式、スポーツ大会、学校説明会
11月 - 沖縄修学旅行(2学年)
12月 - 学年末考査(3学年)、後期中間考査(1・2学年)
1月 - 入学試験(附属中学)、柔道部・剣道部寒稽古
2月 - 百人一首大会、入学試験(一般中学)
3月 - 学年末考査(1・2学年)、卒業式、後期終業式、湘南戦(サッカー部対湘南高校定期戦)、各部合宿
院戦(対学習院総合定期戦)
開成レース・湘南戦
文化祭その他
校章・校歌
校章
校歌
部活動
中学校
部活動:男子水泳部 - 女子水泳部 - 蹴球部 - 男子硬式庭球部 - 女子硬式庭球部 - 排球部 - 野球部 - 陸上競技部 - 男子籠球部 - 女子籠球部 - ダンス部 - 剣道部 - バドミントン部 - 卓球部
研究会:音楽研究会 - 化学研究会 - 電子電脳技術研究会 - 美術研究会 - イラスト研究会 - 天文研究会 - 鉄道研究会 - 演劇研究会 - アジアの子供の会 - 家庭科研究会 - 文芸研究会
高等学校
運動部:野球 - 陸上競技 - サッカー - フットサル - 女子サッカー - バドミントン - バレーボール - 水泳 - 硬式テニス - バスケットボール - 柔道 - 剣道 - 弓道 - ダンス - ボート - ハンドボール - 馬術 - 卓球
文化部:オーケストラ - 美術 - 英字新聞 - 化学 - クイズ研究 - 写真映画 - アカペラ - かるた - JAZZ研究
同好会:TCA(コンピュータ) - 演劇 - 文芸愛好会 - 軽音楽 - 数学 - 将棋 - ジャグリング - 書道 - ソフトテニス
野球部
野球部は、校名が東京高等師範学校附属中学校であった終戦直後の1946年(昭和21年)、全国中等学校野球予選都大会を勝ち抜き、第28回全国中等学校野球大会(現:全国高等学校野球選手権大会 - 夏の甲子園)に、それまで私学が独占していた[12]東京代表の座を国・公立として初めて制し、ベスト4まで勝ち進んだ(さらに同年の国体でも準優勝している)。準決勝で浪華商業に敗れた際、佐々木迪夫監督が「さあ、5年生(最上級生)はいいから、他は自分のポジションへ行って土を取ってこい。来年、またここへ返しに来よう」と言い[13]、選手らが各ポジションの土を手ぬぐいに包んで持ち帰ったことが、この大会で敗れた高校が甲子園の土を持って帰ることのルーツの一説となっている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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