第9師団
旧第九師団兵器倉庫
(現石川県立歴史博物館)
創設1898年(明治31年)10月1日
廃止1945年(昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位師団
兵種/任務/特性歩兵
人員約25,000名
所在地金沢-満洲-アムール州-華中-沖縄-台湾
編成地金沢
通称号/略称武
補充担任第9師管・金沢師管・金沢師管区
最終上級単位第10方面軍
最終位置台湾
主な戦歴日露-シベリア-満洲事変-日中戦争-太平洋戦争
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第9師団(だいきゅうしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。
日清戦争の後、軍備増強の必要性から1898年(明治31年)に新設された6個師団の一つで、北陸の富山・石川・福井各県の兵士で構成され、衛戍地を金沢として編成された師団である。第18師団(久留米市)と、陸軍内部でその精鋭さでは双璧といわれた。1898年11月8日、師団司令部と師団監督部が開庁した[1]。同年11月29日、監督部は旧金沢城内の新築庁舎に移転[2]。
1940年(昭和15年)8月から師団の衛戍地は満洲となり、代替の常設師団として第52師団が編成された。またこの時、歩兵第36連隊を第28師団に転出させて三単位編制に改編された。 1904年(明治37年)に日露戦争が勃発すると、師団長大島久直中将の下で出征し、乃木希典大将率いる第3軍隷下で旅順攻囲戦に参加する。旅順では師団所属の歩兵連隊長全員が負傷する激しい戦闘となった。続いて参加した奉天会戦でも、山砲兵第9連隊長まで戦死するという大打撃を受けている。日露戦争後、約2年間朝鮮半島に駐留した。1913年(大正2年)11月13日から17日、名古屋市周辺で行われた陸軍特別大演習に西軍として参加[3]。1914年4月14日、師団司令部留守部を設置し事務を開始[4]。1916年4月30日、師団司令部が金沢衛戍地に帰着した[5]。1918年6月12日、兵器部が司令部構内で事務を開始[6]。 1932年(昭和7年)1月に起こった第一次上海事変にも動員された。1934年(昭和9年)9月には、大聖寺町で発生した大火の消火活動に工兵隊が参加した[7]。その後1935年(昭和10年)から約2年間の満洲駐剳任務に就き、1937年(昭和12年)2月に帰国する。
大陸戦線