第9回十字軍
十字軍中
十字軍(緑)、マムルーク朝軍(黄)、モンゴル軍(赤)の機動
時1271年?1272年
場所近東
結果十字軍の小規模な勝利
ただし大局に影響せず
衝突した勢力
イングランド王国
フランス王国
キリキア・アルメニア王国
キプロス王国
イェルサレム王国
トリポリ伯国
イルハン朝バフリー・マムルーク朝
指揮官
エドワード
シャルル・ダンジュー
レヴォン2世
十字軍 不明
当初のイングランド軍 1,000人
イルハン朝: 騎兵 10,000騎不明
被害者数
不明不明
1291年以前
第1回
1101年
ノルウェー
ヴェネツィア
第2回
第3回
1197年
第4回
第5回
第6回
バロン
第7回
第8回
第9回
1291年以降
スミルナ (1343?1351)
アレクサンドリア (1365)
サヴォイア (1366)
マーディア (1390)
ニコポリス (1396)
ヴァルナ (1443)
オトラント (1481)
北方十字軍
ヴェンド (1147)
スウェーデン
1150年
1249年
1293年
リヴォニア (1198?1290)
プロイセン (1217?1274)
ノヴゴロド (1241?1242)
リトアニア (1283?1410)
民衆十字軍
民衆 (1096年)
少年 (1212)
羊飼い (1251)
貧者 (1309)
羊飼い (1320)
対キリスト教徒/異端十字軍
ボスニア (1235?1241)
アルビジョア派 (1209?1229)
アラゴン (1284/5)
ディスペンサー (1382/3)
フス派 (1419?1434)
レコンキスタ (718年-1492年)
バルバストロ (1063)
バレアレス (1113-1115)
ナバス・デ・トロサ (1212)
第9回十字軍は、1271年から1272年にかけて聖地を目標として行われた、中世最後の大規模な十字軍。1270年の第8回十字軍の一部として扱われることもある。
フランス王ルイ9世は1270年にチュニジアを攻撃したが失敗した(第8回十字軍)。これを受けて、イングランド王ヘンリー3世の息子エドワード(後のイングランド王エドワード1世)がアッコに向かった遠征を第9回十字軍と呼ぶ。この十字軍はマムルーク朝スルターンのバイバルスと戦い何度か勝利をおさめたが、十字軍内の対立が収まらず、撤退した。