第76親衛空挺師団_(ロシア空挺軍)
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第76親衛空挺師団

創設1939年9月1日
所属政体 ソビエト連邦
ロシア
所属組織 ロシア空挺軍
部隊編制単位師団
兵科空挺兵
兵種/任務/特性空挺作戦
所在地プスコフ州プスコフ
通称号/略称軍部隊07264
愛称チェルニゴフ
標語勝利の待つところなら、どこにでもいる
Мы всюду там, где ждут победу
上級単位空挺軍司令部
主な戦歴第二次世界大戦
アフガニスタン紛争
トランスニストリア戦争
第一次チェチェン紛争
第二次チェチェン紛争
南オセチア紛争
ロシアのクリミア侵攻
ドンバス戦争
シリア内戦
ロシアのウクライナ侵攻
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第76親衛空挺師団(だい76しんえいくうていしだん、ロシア語:76-я гвардейская воздушно-десантная дивизия;略称76 гв.ВДД)は、ロシア空挺軍師団。空挺軍司令部隷下。プスコフ州プスコフ駐屯。

「赤旗勲章」、名誉称号「チェルニゴフ」を有する。契約制(志願制)のモデル部隊となっており、公式サイトも持っている。
沿革

1939年9月1日:第74狙撃師団第221狙撃連隊に基づき、第76狙撃師団編成。
独ソ戦開始まで、北カフカーズ軍管区

1941年9月:オデッサ防衛の支援のために派遣。

1941年11月:ノヴォロシースクに帰還。黒海艦隊と共に、フェオドシヤ上陸作戦に参加。

1942年7月:ドン川流域でドイツ軍と戦闘。

1942年8月:アクサイ川北岸で戦闘。

1942年9月:第64軍の編成下において、ゴールナヤ・ポリャーナ?エルヒ線で防御。

1943年1月:スターリングラード戦線において、攻勢転移。その後、ブリャンスク戦線

1943年7月:オカ川を渡河し、橋頭堡を確保。

1943年9月:チェルニゴフ市を解放。名誉称号「チェルニゴフ」を授与。

1944年7月:第1白ロシア戦線において、ブレストを包囲。

1945年1月:第2白ロシア戦線において、トルニ市を包囲。

1945年3月:3月23日、ツォポット市を占領し、バルト海に進出。3月25日、ダンツィヒに突入し、3月30日、敵を撃滅。

1945年4月:ロンドフ運河を渡河し、プレツラウ市を掃討。

1945年5月:5月2日、ギュストロー市を占領。5月3日、カロフ及びビュッツォフ市を掃討し、連合軍と会合。終戦後、ドイツからカルーガ州キーロフ市に移動し、空挺師団に改編。

1947年春:プスコフ市に駐屯。

1979?1989年:アフガニスタンでの戦闘行動に参加。

1988?1992年:アルメニアアゼルバイジャングルジアキルギス、沿バルト、沿ドニエストル、南北オセチアに投入。

1995年末:師団に基づき、独立空挺旅団編成。旧ユーゴスラビアにおいて、平和維持任務を遂行。

1994年?1995年:第一次チェチェン紛争に投入。

1999年8月?:連隊戦術群の編成において、ダゲスタン及びチェチェン共和国領内の不法武装部隊を掃討。

2008年8月:南オセチア紛争において、アブハジア方面に投入。

北部・キーウ戦線「キーウ攻勢 (2022年)」、「ブチャの戦い」、「イルピンの戦い」、「キーウの戦い (2022年)」、および「ダヴィディウ・ブリドの戦い」も参照

2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻に参加して北部キーウ州で攻勢を開始したが、3月にイルピンで撃退され、以後は南部ヘルソン州に再配置された。
東部・スヴァトヴェ-クレミンナ戦線「第二次クレミンナの戦い」も参照


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