第7航空団
7th Air Wing
第3飛行隊のF-2A
創設1961年(昭和36年)7月15日
所属政体 日本
所属組織 航空自衛隊
所在地茨城県 小美玉市
編成地百里基地
上級単位中部航空方面隊
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第7航空団(だい7こうくうだん、英称:7th Air Wing)とは、航空総隊隷下の中部航空方面隊に属している航空団のひとつである。司令部は百里基地(茨城県小美玉市)に所在しており、主に関東地域の領空に接近・侵入してくる国籍不明機に対しての対領空侵犯措置を担当している。国内で初めてF-4EJを運用し、かつ最後にF-4EJ改を運用した航空団である。
沿革
1961年(昭和36年)7月15日 - 松島基地にて「第7航空団」が新編[1]。第4航空団第9飛行隊(F-86F)を隷下に編入
1962年(昭和37年)5月15日 - 入間基地に移動[1]
1964年(昭和39年)11月30日 - F-104準備室設置[2]
1965年(昭和40年)12月20日 - 第9飛行隊(F-86F)が解散。第206飛行隊(F-104J)を百里基地にて新編[1]
1966年(昭和41年)3月31日 - 第207飛行隊(F-104J)を百里基地にて新編[1]
1967年(昭和42年)7月28日 - 司令部を入間基地から百里基地に移動
1969年(昭和44年)8月6日 - 第206飛行隊(F-104J)一機が那珂湊沖合で行方不明、後に墜落を確認。乗員1人が死亡[3]。
1972年(昭和47年)
8月1日 - 臨時F-4EJ飛行隊を新編[4]
10月1日 - 第207飛行隊(F-104J)が対領空侵犯措置任務を終了[2]
11月10日 - 第207飛行隊(F-104J)が那覇基地に移動し、臨時第83航空隊の隷下に編入[1]
1973年(昭和48年)
5月1日 - 水戸市沖合で訓練中のF-4EJ 304号機が墜落。初のF-4EJの墜落事故となる[5]。
10月16日 - 臨時F-4EJ飛行隊を第301飛行隊(F-4EJ)に改編[4]
1978年(昭和53年)
10月31日 - 第301飛行隊(F-4EJ)に対領空侵犯措置任務付与[2]
12月1日 - 第206飛行隊(F-104J)が解散。第305飛行隊(F-4EJ)を新編[4]
1979年(昭和54年)9月1日 - 第305飛行隊(F-4EJ)に対領空侵犯措置任務付与[2]
1983年(昭和58年)8月22日 - 第7航空団飛行群本部にF-15準備班を新設[2]
1984年(昭和59年)
3月1日 - F-15準備飛行班を新設[2]
6月21日 - F-15準備飛行班をF-15準備飛行隊に改編[2]
12月1日 - 第301飛行隊(F-4EJ)が対領空侵犯措置任務を終了[2]
1985年(昭和60年)
3月2日 - 新田原基地の第5航空団第204飛行隊(F-15J)が百里基地に移動し、これを隷下に編入。第301飛行隊(F-4EJ)が新田原基地に移駐し第5航空団の隷下に編入[1][4]
12月2日 - 第204飛行隊(F-15J)に対領空侵犯措置任務付与[2]
1993年(平成05年)
7月1日 - 第305飛行隊(F-4EJ)が対領空侵犯措置任務を終了[2]
8月2日 - 第305飛行隊の機種を改編。(F-4EJからF-15Jへ)[1][4]