第45回世界遺産委員会
[Wikipedia|▼Menu]
アル・ファイサリア・センターのビル群で右端の一際高い三角錐のビル(ミナレットを意匠)がアル・ファイサリア・タワー

第45回世界遺産委員会(だい45かいせかいいさんいいんかい)は、サウジアラビアリヤド2023年9月10日から9月25日にかけて開催された。

2022年6月19日から30日にロシアタタールスタン共和国カザンで開催される予定だったユネスコによる世界遺産委員会であるが[1]、2月24日に発生したロシアによるウクライナ侵攻により開催地変更の要望が高まり(「第44回世界遺産委員会#委員会終了後の動向」参照)、延期されることとなった[1]

その後、11月22日にロシアが開催を断念し[2]、2023年1月24・25日にパリのユネスコ本部で開催された第18回世界遺産委員会臨時会議においてサウジアラビアを議長国として、同国のリヤドで9月10?25日に開催することとなり(9月23日はサウジの建国記念日祝日であることから委員会も休催)、新規登録審査に関しては2022年と2023年の2年分をまとめて行う拡大会合とすることが決まった[3]

会場はサウジ随一の複合商業施設兼ビジネスセンターであるアル・ファイサリア・センター(英語版)の中核アル・ファイサリア・タワー内のアル・ファイサリア・ホテルとプリンス・ファイサル・ホール(当初本会議および各種レセプション会場はキング・アブドゥルアズィーズ国際会議場とキング・アブドゥルアズィーズ国際文化センター(英語版)を予定していた[3])。

本委員会では42件(文化遺産33、自然遺産9)の新規登録があり、先行した臨時会議で緊急登録された文化遺産3件と合わせ、世界遺産の総数は1199件となった。なお、世界遺産を保有していない国の中からルワンダが新規に保有国となった。
日程・開催地の変更について

ユネスコ加盟61ヶ国が動議提出して、19の執行委員国が招集要請、58ヶ国が出席し、3月15・16日にウクライナ問題に特化したユネスコ執行委員会の特別会合が開催され[注 1]、3月2日に開催された第11回国際連合緊急特別総会ではロシア寄りの姿勢を示したキルギスや棄権した中国もユネスコ分野(教育や遺産事業)に関してはロシア非難に賛同し、武力紛争の際の文化財の保護に関する条約(ハーグ条約)に基づくウクライナの世界遺産の保護を確実に実施することや、第45回世界遺産委員会で緊急案件として議題とすることを決めたが(下記「ウクライナ問題」の節参照)、開催地の変更などについては世界遺産委員会に一任するとした[4]

開催地や日程の変更に関しては、ユネスコ世界遺産センターからの打診により、その年の委員国(下記「委員国」の節参照)の内、議長国・副議長国および報告担当国の発議により委員国が参集し、委員国を務める21ヶ国の内3分の2すなわち14ヶ国以上の賛同で変更が可能になるため[注 2]、議長国のロシアが自ら開催地変更を提案することはあり得ず、副議長国のイタリアアルゼンチンタイ南アフリカサウジアラビア、報告担当のインドの内、3月2日の第11回国連緊急特別総会でのロシア非難決議および3月24日の国連安全保障理事会での人道支援決議の際にロシアとインドが反対と棄権。非難決議では委員国のルワンダナイジェリアザンビアエジプトも棄権または欠席、人道支援決議でも委員国のエチオピアマリが棄権。ロシアに対する制裁措置に対してはサウジアラビア・アルゼンチンおよびメキシコが参加しないことを表明するなど、ロシア寄りの姿勢を示しており、委員会開催地変更議案が出されても反対する勢力が一定数存在することになる。なお、変更手続きは規程により60日前までに行わなければならず、期限は4月19日だった[5]

このような状況に対して、ウクライナとの遺産保全のためのパートナーシップ協定を結ぶ隣国ポーランドの国立文化遺産研究所(英語版)[注 3]は、世界遺産条約に基づく運用制度ながら、ユネスコ自体が事務的官僚機構と化し裁量権がないことは問題であり、抜本的な制度の見直しや改革が必要になっていると痛烈な批判をした[6]

3月30日に始まった第214回ユネスコ執行委員会(?4月13日)において、ロシアによるジェノサイドが明らかになったことをうけ、かつてソビエト連邦を構成していたリトアニアのユネスコ大使が開催地変更を公式に要求したことを皮切りに[7]、多数の国が賛同し、ロシア非難声明のノーベル賞受賞者からの公開書簡になぞらえ「Open letter from 46 countries party to the UNESCO World Heritage Convention(ユネスコ世界遺産条約46ヶ国からの公開書簡)」を取りまとめ、イギリスが代表して公開書簡として公表した[8]。一方でベネズエラのユネスコ大使はロシアでの開催に理解を示す姿勢を表した[9]

4月13日に終了した執行委員会後、オードレ・アズレユネスコ事務局長が調停役となり、直ちに委員会開催についての調整が水面下で進められた。連日、ユネスコ本部において委員国以外の各国ユネスコ大使も参集しての議論が行われ、ロシア非友好国の委員がロシア入りすることで拘束されるのではないかという懸念を表す国も現れたため、新型コロナウイルス感染症の世界的流行によりオンラインミーティングとなった前回の第44回世界遺産委員会を参考にロシアで開催しつつテレビ会議併用案も出されたが否定され、最終的にはロシアのユネスコ大使Grigory Ordzhonikidzeが本国の文化省およびロシアユネスコ国内委員会(英語版)と協議し開催地の変更について言及しないことを条件に4月21日に開催延期を了承した。延期決定を伝える記者会見では、新型コロナウイルス感染症変異株への警戒感も残るといった付帯案件があることも付け加えられた[10]

4月22日にウクライナへ招聘されたポーランドのPiotr Gli?ski副首相兼文化相とリトアニアのSimonas Kairys文化相が、リトアニア本国のガブリエリュス・ランズベルギス外相とともに、今回の戦争が終わったとしても委員会をロシアで開催すべきではないとの共同声明を出した[11]

第215回執行委員会では、ロシアと共同歩調をとるベラルーシがユネスコには差別が介在するとし、速やかなロシアでの世界遺産委員会の開催を求める声明を発した[12]

11月22日になり議長を務める予定であったロシアのアレクサンダー・クズネツォフ(英語版)(ロシア科学アカデミー教授)が世界遺産委員会に対し辞意を表明し、ロシアは事実上開催権を返上することになり、副議長国が持ち回りで議長役を務める輪番制で早急にユネスコ本部で開催すべきとの提案もあったが[2]、委員会の運営規則では議長国名の英語アルファベット順(政体名詞は除く)で次番の副議長国を任命することになっており(Russian Federation→Kingdom of Saudi Arabia→Republic of South Africa→Kingdom of Thailand→(一巡して)→Argentine Republic→Republic of Italy)、これに従いサウジアラビアが引き継ぐこととなった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:494 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef