第4次伊藤内閣
内閣総理大臣第10代 伊藤博文
成立年月日1900年(明治33年)10月19日
終了年月日1901年(明治34年)6月2日
与党・支持基盤立憲政友会
内閣閣僚名簿(首相官邸)
第4次伊藤内閣(だいよじ いとうないかく)は、元老、立憲政友会総裁の伊藤博文が第10代内閣総理大臣に任命され、1900年(明治33年)10月19日から1901年(明治34年)6月2日まで続いた日本の内閣。
内閣の顔ぶれ・人事
国務大臣
1900年(明治33年)10月19日任命[1]。在職日数204日(第1次、2次、3次、4次通算2,720日)。
職名代氏名出身等特命事項等備考
内閣総理大臣10伊藤博文立憲政友会
侯爵1901年5月10日免[2]
立憲政友会総裁
-西園寺公望立憲政友会
侯爵臨時代理
(班列兼任)
枢密院議長1900年10月27日任[3]
1900年12月12日免[4]
外務大臣16加藤高明外務省初入閣
内務大臣15末松謙澄貴族院
立憲政友会
(無会派)
男爵
大蔵大臣9渡辺国武立憲政友会
子爵
陸軍大臣5桂太郎陸軍大将
子爵留任
1900年12月23日免[5]
6児玉源太郎陸軍中将
男爵台湾総督初入閣
1900年12月23日任[5]
海軍大臣5山本権兵衛海軍中将
(海兵2期)留任
司法大臣10金子堅太郎貴族院
立憲政友会
(無会派)
男爵
文部大臣15松田正久衆議院
立憲政友会
農商務大臣17林有造衆議院
立憲政友会
逓信大臣10星亨衆議院
立憲政友会初入閣
1900年12月21日免[6]
11原敬立憲政友会初入閣
1900年12月22日任[7]
班列-西園寺公望立憲政友会
侯爵内閣総理大臣臨時代理
枢密院議長1900年10月27日任[3]
1901年5月10日まで
辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。
西園寺枢密院議長による臨時兼任期
1901年(明治34年)5月10日任命[2]。在職日数24日。
職名代氏名出身等特命事項等備考
内閣総理大臣
-西園寺公望立憲政友会
侯爵臨時兼任
枢密院議長1901年5月10日兼[2]
外務大臣11加藤高明外務省
内務大臣15末松謙澄貴族院
立憲政友会
(無会派)
男爵
大蔵大臣9渡辺国武立憲政友会
子爵1901年5月14日免[8]
-西園寺公望立憲政友会
侯爵臨時兼任
(内閣総理大臣臨時兼任)
枢密院議長1901年5月14日兼[8]
陸軍大臣6児玉源太郎陸軍中将
男爵台湾総督
海軍大臣5山本権兵衛海軍中将
(海兵2期)
司法大臣10金子堅太郎貴族院
立憲政友会
(無会派)
男爵
文部大臣15松田正久衆議院
立憲政友会
農商務大臣17林有造衆議院
立憲政友会
逓信大臣11原敬立憲政友会
辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。
内閣書記官長・法制局長官
1900年(明治33年)10月19日任命[9]。
職名代氏名出身等特命事項等備考
内閣書記官長11鮫島武之助貴族院
無所属
(無会派)
法制局長官8平田東助旧米沢藩
貴族院
無所属(茶話会)内閣恩給局長事務引継
1900年10月24日免[10]
9奥田義人農商務省内閣恩給局長1900年10月24日任[10]
辞令のある留任は個別の代として記載し、辞令のない留任は記載しない。
臨時代理は、大臣空位の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。
代数は、臨時兼任・臨時代理を数えず、兼任・兼務は数える。
勢力早見表
※ 内閣発足当初(前内閣の事務引継は除く)。
出身党派国務大臣その他
ひせいとう非政党2内閣書記官長、法制局長官
りつけんせいゆうかい立憲政友会8国務大臣のべ9
10国務大臣のべ11