第3軍(だい3ぐん、独Deutsche 3. Armee)は、第一次世界大戦、第二次世界大戦時のドイツ軍の部隊である。 第3軍 ザクセン王国の軍事大臣を務めていたマックス・フォン・ハウゼン
第一次世界大戦
創設1914年
廃止1918年
所属政体 ドイツ帝国
所属組織ドイツ帝国軍
部隊編制単位軍
担当地域西部戦線
主な戦歴西部戦線
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しかし、マルヌ会戦での失敗で第2軍が退却すると、第3軍は側面ががら空きとなった。そのため、ハウゼンは第3軍に退却を命じた。退却後、エーヌ川沿いで戦線を安定化させたが、ハウゼンは解任、1914年9月、カール・フォン・アイネムが後任となった。
1915年2月?3月、9月?11月にそれぞれ行われたフランス軍によるシャンパーニュ?マルタへの攻撃を撃退するなど、第3軍はエーヌ川で行われた3度の会戦に参加、1917年4月16日?5月17日のエーヌでの2回目の戦いでフランス第4軍の攻撃を防いだ。
第3軍の最右翼は第1軍の側面を支えており、1918年7月15日?17日にかけておこなわれたシャンパーニュ?マルヌ攻撃に参加した。その後、9月26日から11月11日まで続いたムーズ・アルゴンヌ攻勢で、アメリカが派遣したジョン・パーシング率いる米国外征軍との戦いで多大な犠牲者を出し、大戦終了直前に北方への撤退を余儀なくされた。 第3軍 1939年9月1日、ドイツ軍がポーランドへ侵攻した日、第3軍は設立、ゲオルク・フォン・キュヒラー上級大将が司令官に任命され、第4軍と共に北方軍集団に所属して、作戦に従事した。 第4軍はポーランド回廊を占領し、東プロイセンに入ることになっており、この両地域を繋げることを担当していた。一方、第3軍は東プロイセンに駐屯しており、東プロイセンから二手に分かれて南への進撃を担当していた。一部は、南へヴィスワ川とブグ川
司令官
1914年?1914年9月:マックス・フォン・ハウゼン
1914年9月?1918年:カール・フォン・アイネム
第二次世界大戦
創設1939年9月11日
廃止1939年11月5日
所属政体 ドイツ国
所属組織ドイツ国防軍陸軍
部隊編制単位軍
担当地域ポーランド
主な戦歴ポーランド侵攻
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ポーランド侵攻が開始され、第3軍の一部はポーランド回廊を横切り、第4軍と合流した。第3、第4軍は計画を忠実に果たし、ポーランド侵攻はドイツ軍の勝利に終わった。後にソビエト赤軍はモロトフ・リッベントロップ協定の「秘密議定書」に従い、ポーランドに攻め込み、ドイツ、ソビエト両軍によりブレスト・リトウスクで勝利パレードがおこなわれた。
ポーランドにおける作戦が終わり、第3軍が編成されて約5週間が過ぎた1939年11月5日、第3軍は解散することとなった。第3軍が解散した直後、キュヒラーは新設された第18軍の司令官に任命され、1940年から1942年まで西部戦線で勤めた後、レニングラード攻撃をおこなう北方軍集団の司令官となった。1942年、キュヒラーは元帥に昇進したが、北方軍集団がソビエト赤軍に撃破されたことにより、司令官を解任された。
司令官
1939年8月26日?1940年10月23日:ゲオルク・フォン・キュヒラー上級大将(当時)
参考文献
Barnett, Correlli. Hitler's Generals. New York: Grove Weidenfeld, 1989.
< ⇒http://www.worldwar-2.net/>.
Wendel, Marcus. < ⇒http://www.axishistory.com/>.
表
話
編
歴
第二次世界大戦中のドイツ軍の編成
軍集団
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D
E