第3回衆議院議員総選挙(だい3かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1894年(明治27年)3月1日に行われた日本の帝国議会(衆議院)議員の総選挙である。目次 第2回衆議院議員総選挙において選挙干渉を指揮したとされて失脚した内務大臣品川弥二郎は、その後吏党系議員の再結集を図って国民協会を設立した。ところが、この過程で吏党側は分裂して同盟倶楽部のように民党側に奔る集団まで現れた。また、政権も第1次松方内閣から第2次伊藤内閣に移ると、前政権を支持していた国民協会内部には伊藤内閣への不満が高まってきた。一方の民党側でも藩閥が譲歩するなら妥協も考慮するとした自由党と藩閥と徹底的に争う姿勢を見せた立憲改進党の間で対立が見られるようになった。 伊藤内閣は外務大臣陸奥宗光の元で先に治外法権の解消を図る条約改正をまとめようとしていた。これに対して国民協会の主流派である国粋主義者達は「完全な対等条約以外の条約改正は認めず、安政条約を忠実に履行すべし」とする「条約励行論」を唱えた(安政条約を忠実に履行すれば、外国人は外国人居留地の外への自由な外出が不可能となる)。これに吏党・民党を問わず伊藤内閣に不満を抱く各党派が揃って同調、対外硬派(硬六派)と呼ばれた。同じ頃、自由党から出していた衆議院議長星亨が不正問題を理由に衆議院を除名とされて強引に議長を辞めさせられるという事件が起きた。
1 概説
2 選挙データ
2.1 内閣
2.2 解散日
2.2.1 解散名
2.3 投票日
2.4 改選数
2.5 選挙制度
2.6 その他
3 選挙結果
3.1 投票率
3.2 党派別獲得議席
4 この選挙で当選
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク
概説