第3回衆議院議員総選挙
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  第3回衆議院議員総選挙
内閣第2次伊藤内閣
任期満了日1896年(明治29年)2月14日
解散日1893年(明治26年)12月30日
公示日1894年(明治27年)1月29日
投票日1894年(明治27年)3月1日
選挙制度小選挙区制
改選数300()
議席内訳
選挙後の党派別議席数
有権者直接国税15円以上納税の満25歳以上の男性日本国民
有権者数44万113人
投票率88.76%(2.83%)
各党別勢力
党順第1党第2党第3党
画像
党色   
党名自由党立憲改進党国民協会
党首板垣退助大隈重信西郷従道
前回選挙9438新党
選挙前議席764269
獲得議席1206035
増減441834
党順第4党第5党第6党
画像
党色   
党名同志?楽部同盟倶楽部大日本協会
党首不明不明安部井磐根
前回選挙新党新党新党
選挙前議席2121
獲得議席24189
増減33
 < 1892年1894年9月 > 
衆議院議員総選挙

第3回衆議院議員総選挙(だい3かいしゅうぎいんぎいんそうせんきょ)は、1894年明治27年)3月1日に行われた日本帝国議会衆議院議員総選挙である。目次

1 概説

2 選挙データ

2.1 内閣

2.2 解散日

2.2.1 解散名


2.3 投票日

2.4 改選数

2.5 選挙制度

2.6 その他


3 選挙結果

3.1 投票率

3.2 党派別獲得議席


4 この選挙で当選

5 参考文献

6 関連項目

7 外部リンク

概説

第2回衆議院議員総選挙において選挙干渉を指揮したとされて失脚した内務大臣品川弥二郎は、その後吏党系議員の再結集を図って国民協会を設立した。ところが、この過程で吏党側は分裂して同盟倶楽部のように民党側に奔る集団まで現れた。また、政権も第1次松方内閣から第2次伊藤内閣に移ると、前政権を支持していた国民協会内部には伊藤内閣への不満が高まってきた。一方の民党側でも藩閥が譲歩するなら妥協も考慮するとした自由党と藩閥と徹底的に争う姿勢を見せた立憲改進党の間で対立が見られるようになった。

伊藤内閣は外務大臣陸奥宗光の元で先に治外法権の解消を図る条約改正をまとめようとしていた。これに対して国民協会の主流派である国粋主義者達は「完全な対等条約以外の条約改正は認めず、安政条約を忠実に履行すべし」とする「条約励行論」を唱えた(安政条約を忠実に履行すれば、外国人は外国人居留地の外への自由な外出が不可能となる)。これに吏党・民党を問わず伊藤内閣に不満を抱く各党派が揃って同調、対外硬派硬六派)と呼ばれた。同じ頃、自由党から出していた衆議院議長星亨が不正問題を理由に衆議院を除名とされて強引に議長を辞めさせられるという事件が起きた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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