第22回スーパーボウル
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第22回スーパーボウル
Super Bowl XXII

ワシントン
レッドスキンズ
デンバー
ブロンコス

(NFC代表)(AFC代表)
4210

1234


WAS03507

42
DEN10000

10

開催日1988年1月31日
スタジアムジャック・マーフィー・スタジアム
開催地カリフォルニア州サンディエゴ
MVPダグ・ウィリアムス,レッドスキンズ
優勝予想Broncos by 3
国歌斉唱ハーブ・アルパート
コイントスドン・ハトソン
ハーフタイムチャビー・チェッカーザ・ロケッツ
入場者数73,302
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アメリカにおけるテレビ放送
ネットワークABC
実況と解説アル・マイケルズ、フランク・ギフォード、ダン・ディアドルフ
視聴率41.9 (全米)
占有率62 (全米)
CM広告料
(30秒)64万5千ドル

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第22回スーパーボウル(だい22かいスーパーボウル、Super Bowl XXII)は1988年1月31日カリフォルニア州サンディエゴジャック・マーフィー・スタジアムで行われた22回目のスーパーボウルNFCチャンピオンであるワシントン・レッドスキンズAFCチャンピオンであるデンバー・ブロンコスの対戦、レッドスキンズがブロンコスを42-10で破って5年ぶり2度目のスーパーボウル制覇を果たした。MVPはレッドスキンズのクォーターバックであるダグ・ウィリアムスが受賞した。

テレビ中継はABCが担当した。テレビの視聴率は前半で大差がついたこともあり、後半急落した[1]
背景

第21回スーパーボウル、第22回スーパーボウル、第23回スーパーボウル第24回スーパーボウルの開催地には、アナハイムデトロイトヒューストンジャクソンビルマイアミミネアポリスニューオーリンズパサデナフィラデルフィアサンフランシスコサンディエゴシアトルタンパテンピの14都市が立候補した[2]

1984年5月23日から25日にかけて行われたNFLオーナー会議で、サンディエゴジャック・マーフィー・スタジアムでの開催が決まった。前年の第21回スーパーボウルも同じカリフォルニア州のパサデナに決まっており、スーパーボウルが同じ州で2年連続開催されたことは、他には第2回スーパーボウル第3回スーパーボウルマイアミ・オレンジボウルで開催されたときと、第43回スーパーボウルレイモンド・ジェームス・スタジアム第44回スーパーボウルサンライフ・スタジアムで開催されたケースしかない。

1987年シーズンは、選手のストライキにより、1試合少ない15試合で行われた。また、大部分の選手が3週間に渡り欠場、その間代替選手が多くプレーしたが、一部のスター選手はスト破りを行った。
ウィリアムスとワシントン・レッドスキンズ

レッドスキンズのQBダグ・ウィリアムスは、1978年NFLドラフト1巡でタンパベイ・バッカニアーズに指名され、5シーズンプレーした後、契約問題からチームを去り、USFLのオクラホマ・アウトローズでプレーした。USFLが崩壊した後、ジョー・ギブスヘッドコーチに声をかけられて、ジェイ・シュローダーの控えQBとしてレッドスキンズに入団した。1986年にはわずか1試合の出場、1987年の大部分をベンチで過ごしたが、シュローダーが負傷したことから、先発QBに昇格し、5試合の出場で1,156ヤードを獲得、11TD、5INTの成績を残した。シュローダーが怪我から回復した後もギブスはウィリアムスを先発QBとして起用し続けた。

WRゲイリー・クラークが56回のレシーブで1,066ヤード(平均19ヤード)を獲得、ディープスリートのリッキー・サンダース、アート・モンクが合計で80レシーブ、1,130ヤードを獲得した。。RBジョージ・ロジャースがチームトップの613ヤードを走ったが、ロジャースは負傷のためスーパーボウルではあまり出場できず、早く現役を引退することとなり、スーパーボウルでは彼の代役を新人RBティミー・スミスが務めた。FBケルビン・ブライアントは406ヤードを走るとともに、43回のレシーブで490ヤードを獲得した。

レッドスキンズはディフェンスも優れており、ディフェンスバックのバリー・ウィルバーンは9インターセプトで135ヤードをリターン、1TDをあげた。またトッド・ボールズ、ダレル・グリーンが4インターセプトをあげた。ディフェンスラインでは、チャールズ・マンが9.5サック、1ファンブルリカバー、デクスター・マンリーが8.5サックをあげた。

レギュラーシーズンを11勝4敗で終えたチームは第3シードでプレーオフに進出した。
エルウェイとデンバー・ブロンコス

ダン・リーブスヘッドコーチのブロンコスはAFCトップの10勝4敗1分でシーズンを終えた。レギュラーシーズンで引分試合のあったチームがスーパーボウルに出場するのは、その後第47回スーパーボウルに11勝4敗1分のサンフランシスコ・フォーティナイナーズまでない珍しい記録であった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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