第21軍団ラパクス (Legio XXI Rapax, Legio Vigesima Prima Lapax) はローマ軍団のひとつ。 紀元前31年にアウグストゥスにより設立、恐らくヒスパニア・タラコネンシスへと派遣されカラブリア人との戦闘に参加したものと思われる。紀元前16年から翌年にかけて大ドルススのもとでラエティア人との戦闘に従軍、制圧後新たに出来たラエティア属州に赴任、カストラ・レギナに駐在する。 紀元6年には、後のローマ皇帝ティベリウスを司令官としゲルマン人のマルコマンニ族の討伐のために遠征、この遠征には第21軍団の他に第8軍団アウグスタ、第13軍団ゲミナ
目次
1 軍歴
1.1 ユリウス・クラウディウス朝期
1.1.1 大ドルスス、ティベリウスのゲルマニア遠征
1.1.2 トイトブルクの戦い以降
1.2 フラウィウス朝期以降
軍歴
ユリウス・クラウディウス朝期
大ドルスス、ティベリウスのゲルマニア遠征
しかしトイトブルクの戦いで第17軍団
、第18軍団、第19軍団が壊滅すると、その損失の補強の為に任地を低地ゲルマニアに移動、第5軍団アラウダエとともにカストラ・ウェテラの駐在となった。43年には任地が高地ゲルマニアとなる。ネロが自殺して内乱状態となると第21軍団を含むゲルマニアの軍団はウィテリウスを支持しローマへと進軍、しかしウェスパシアヌスに敗北する。しかし皇帝となったウェスパシアヌスによって第21軍団はそのまま存続を許され、クィントゥス・ペティリウス・ケリアリスの指揮のもとで出動、ユリウス・キウィリス率いるバタウィア人の反乱の鎮圧する。そしてそのまま低地ゲルマニアに、第14軍団ゲミナとともに赴任した。
89年にはルキウス・アントニウス・サトゥルニヌス
の反乱を支持、ドミティアヌスに対して反乱を起こす。第21軍団はその後パンノニアに移動、92年にサルマタイとの戦いで消滅した。この項目は、歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。
更新日時:2017年11月17日(金)14:46
取得日時:2020/02/13 18:28