第2外人落下傘連隊
第2外人落下傘連隊章
創設1948年11月9日
所属政体 フランス
所属組織フランス陸軍
部隊編制単位連隊
兵科外人部隊
兵種/任務/特性空挺歩兵
人員約1,200名
所在地オート=コルス県
カルヴィ
標語More Majorum
(先人のように)
上級単位第11落下傘旅団
主な戦歴第一次インドシナ戦争
(ディエンビエンフーの戦い)
アルジェリア戦争
レバノン内戦
湾岸戦争
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
コソボ紛争
不朽の自由作戦
マリ北部紛争
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第2外人落下傘連隊(だいにがいじんらっかさんれんたい、2e regiment etranger de parachutistes:2e REP)は、オート=コルス県カルヴィに駐屯する、第11落下傘旅団隷下のフランス陸軍の空挺連隊である。書籍によっては、第2外人パラシュート連隊或いは第2外人空挺連隊とも表記される。
兵種は歩兵、伝統的区分は外人部隊である。 第2外人落下傘連隊は、フランス外人部隊で唯一の空挺部隊である。外人部隊の中では精鋭中の精鋭として位置づけをされている。連隊内に編成されている潜入情報行動コマンドーグループ(GCP)という少数の特殊部隊が存在する。隊員全員が空挺技術とヘリボーン技術を有しており、市街地戦、山岳・寒冷地戦、潜水、上陸戦、爆破、狙撃等、砂漠戦、それぞれの専門分野を持つ戦闘中隊と業務、連隊本部付中隊など含め、合計9個中隊で構成される。第6中隊は予備役部隊として常設部隊ではない。 1948年7月から1949年11月に掛けて、第一次インドシナ戦争で奇襲部隊を提供するために、3個の落下傘大隊が編制された。しかし、現地ゲリラとの戦いで、第1落下傘大隊(1er BEP)は全滅するなど、大きな損害を受けた(1er BEPは1950年に再編制された)。その後、第1落下傘大隊と第2落下傘大隊は、1954年に第一次インドシナ戦争のディエンビエンフーの戦いに参加し、1953年11月20日、空挺降下でディエンビエンフー(現ベトナム北部)に潜入、占領した。この作戦に参加した約15000名のフランス兵のうち、10分の1の約1500名が外人部隊の隊員であった。その後、ベトミンの猛攻撃で大きな損害を被ったフランス軍守備部隊は、1954年5月7日に降伏する。 インドネシア戦争の後、第1、第2の落下傘大隊は再編制され、連隊規模に増強される。両連隊は、1955年にアルジェリアに派遣された(アルジェリア戦争)。1961年4月に第1連隊は、シャルル・ド・ゴール大統領の退陣を狙った将軍達の反乱に参加する。この反乱はすぐに鎮圧され、第1落下傘連隊は咎を受け解隊された。 第2外人落下傘連隊は1961年に大幅な再編成をうける。1962年12月10日、連隊は外人部隊総監ルフォール将軍(以前に連隊長に上番していた)から近代化構想を下達され、各中隊に専門特技を付与し即応部隊に生まれ変わるべく、カイヤール中佐の指揮の下で軽介入師団に編入、その後に第11落下傘師団(現在は第11落下傘旅団)の隷下となる。
概要
歴史