第19師団
創設1915年(大正4年)12月24日
廃止1945年(昭和20年)
所属政体 大日本帝国
所属組織 大日本帝国陸軍
部隊編制単位師団
兵種/任務/特性歩兵
所在地朝鮮-満洲-フィリピン
編成地朝鮮・羅南
通称号/略称虎
最終上級単位第14方面軍
最終位置フィリピン ルソン島
主な戦歴日中-太平洋戦争
(ルソン島の戦い)
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第19師団(だいじゅうくしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。 日露戦争に勝利し朝鮮を獲得した日本は、半島警備の為に2個師団増設が計画され、1915年(大正4年)12月24日に編成が決まった。同時に編成されたのが第20師団である。ともに朝鮮軍に属した。 師団の兵卒は日本の内地で他の師団が管轄する師管で徴集された。1927年(昭和2年)時点では主に第1師管・第2師管・第3師管・第14師管と一部他師管で徴集することが原則とされていた[1]。関東地方、東北地方南部、東海地方に相当する。兵員はいったん大阪に集合し、そこで集合地身体検査を受けてから、引率されて入営部隊に至る規則であった[2]。 日本は1910年(明治43年)に大韓帝国を併合したが、当初朝鮮の警備は内地にある在来師団を交替で派遣していた。明治の末頃から師団増設は検討されていたが、続く戦役から政府は財政難であった為1915年(大正4年)まで実現しなかった。 1915年(大正4年)12月24日に編成が決まったものの、実際に編成にあたったのは1918年(大正7年)からで、編成完結まで実に3年の時を要したという説がある。もっとも、『陸軍省統計年報』に、1917年(大正6年)12月31日時点の下士官、兵卒及憲兵隊を除く軍隊人員が672人であることが記載されている[3]。さらに1917年(大正6年)の新患として、細菌性赤痢:36人、マラリア:507人などが挙げられている[4]。したがって、1917年(大正6年)の時点で、実際に軍務についていたと思われ、そのころには既に編成が始まっていた可能性も考えられる。いずれにせよ、政府は続く戦役から財政難に陥っており、第19・第20の両師団は共に難産であった。 1916年(大正5年)4月5日、師団司令部を東京市赤坂区青山の第1師団司令部内に設置し事務を開始した[5]。同年4月16日、師団司令部は朝鮮龍山で事務を開始[6]。 第19師団は、朝鮮北部の咸鏡北道羅南で編成され、所属歩兵連隊は歩兵第73・歩兵第74・歩兵第75・歩兵第76連隊の4個連隊。編成完結後、主に朝鮮北部の警備に当る。 1918年6月25日、兵器部が司令部内で事務を開始[7]。1919年4月10日、師団司令部が咸鏡北道羅南に移転し、翌日11日から事務を開始した[8]。 1931年(昭和6年)、満洲事変に第19師団から抽出した兵力を基に混成第38旅団を編成して派遣し、同連隊は第20師団隷下で長春・ハルビンで戦闘を行いその後満洲に駐屯する。
概要
最初期
大陸戦線
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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