第11代総選挙_(大韓民国)
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第11代総選
国会議事堂庁舎(ソウル特別市汝矣島
各種表記
ハングル:?11? ??
漢字:第十一代總選
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第11代総選挙(だい11だいそうせんきょ)は、大韓民国国会を構成する議員を選出するため第五共和国時代の韓国で行なわれた総選挙である。韓国では「第○回」ではなく「第○代」と選挙回数を数える。また、名称も「総選挙」(???)ではなく、「総選」(??)と表記するのが一般的である。


目次

1 概要

2 政党の改編

2.1 民主正義党

2.2 民主韓国党

2.3 韓国国民党


3 基礎データ

4 選挙結果

5 脚注

6 参考文献

7 関連項目

8 外部リンク


概要

第五共和国における新たな国会を構成するために行われた国会議員選挙である

1979年12月12日粛軍クーデター1980年5月17日5・17非常戒厳令拡大措置を経て政治の実権を掌握した全斗煥(チョン・ドファン)国家保衛非常対策委員会(以下、国保委)常任委員長は、8月16日に崔圭夏(チェ・ギュハ)が大統領を辞任した後、統一主体国民会議(統体)で大統領に選出された。全斗煥新大統領は憲法改正に着手し、1980年10月22日の国民投票で改憲案が承認されたことを受けて、10月27日に第五共和国憲法を公布・発効した。これによって、第10代国会も解散され、新たな国会(第11代国会)が召集されるまでは国家保衛立法会議(以下、立法会議)がその権限を代行することになった。そして翌年の1981年2月25日に第五共和国憲法に基づいて行われた大統領選挙で全斗煥が改めて大統領に選出された後、第11代国会を構成する国会議員を選出するため総選挙が行われ選挙の結果、全斗煥大統領の与党である民主正義党(民正党)が安定過半数を得た。1980年に行われた憲法改正国民投票については1980年大韓民国の国民投票を参照。 1981年2月に行われた大統領選挙については1981年大韓民国大統領選挙を参照。 
政党の改編

憲法改正の直後、新軍部勢力の政権維持のために、既存政治家の政治活動を抑えるべく第五共和国憲法発行と共に発足した立法会議で政治風土刷新のための特別措置法が制定され、朴政権下で活動していた与党民主共和党の金鍾泌丁一権・具泰会などや、野党新民党の金泳三李哲承・高興門・李敏雨など567名の政治家が「政治刷新」という名目で強制的に引退、民主共和党新民党民主統一党など朴政権下の政党も全て解散させられた。そして、翌1981年1月10日に政治活動が解禁された後、相次いで政党が結成されたが、有力野党政治家が軒並み追放されたため「体制内野党」の性格が強いものとなった。
民主正義党

結成日:
1981年1月15日結成(新軍部勢力が中心)

総裁:全斗煥

十大綱領(一部のみ掲載)[1]

民族自主性の確立

統一民主福祉国家建設

南北対話の積極的推進

国民の基本権保証と長期個人独裁の排除


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