第10飛行師団
創設1944年 3月10日
廃止1945年 9月
所属政体大日本帝国
所属組織大日本帝国陸軍
部隊編制単位飛行師団
兵種/任務/特性本土防空
所在地司令部:東京都
通称号/略称天翔
最終上級単位第1航空軍
担当地域関東地方
最終位置司令部:東京都
主な戦歴大東亜戦争
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第10飛行師団(だいじゅうひこうしだん)は、日本陸軍の飛行師団のひとつ。1944年(昭和19年)3月に第17飛行団を廃止し第10飛行師団司令部が臨時編成され、既存の部隊を編合して飛行師団となり、太平洋戦争の終結まで主として関東地区の防空任務にあたった。司令部は当初のうち東京都北多摩郡の調布飛行場に置れたが、1944年5月に東京都神田区に移動し、隷下部隊は東京都、千葉県、茨城県、埼玉県などに配置された。 大東亜戦争(太平洋戦争)における中部太平洋方面の情勢が悪化し、陸軍中央部は本土防空を強化するため1944年(昭和19年)3月8日、軍令陸甲第27号[* 1]を下令した[1]。これは東京都北多摩郡の調布飛行場に置かれていた第17飛行団司令部を復帰解消し、第10飛行師団司令部を臨時編成するものである。3月10日、司令部編成が完結し、大陸命第961号[* 2]による師団編合も完結した[2][3][4][5]。第10飛行師団は第1航空軍司令官の隷下に置かれ、作戦行動においては本土全体の防衛を統轄する防衛総司令部の指揮下で主として関東地区の防空にあたった[* 3]。飛行第47戦隊使用と同型の二式単座戦闘機(鍾馗) 第10飛行師団司令部の編成完結時における隷下部隊は次のとおりである[6]。 このほか隷属関係にはないが作戦遂行上の指揮下部隊として、飛行第1戦隊(一式戦闘機〈隼〉使用、柏飛行場)と飛行第70戦隊(二式単座戦闘機使用、松戸飛行場)があった[7][8]。さらに4月には第13航空通信隊が、5月には飛行第53戦隊(二式複座戦闘機〈屠龍〉使用、松戸飛行場)が第10飛行師団の隷下部隊となった[9][10][11]。
沿革
“防空飛行師団”の創設
航空部隊
独立飛行第17中隊(一〇〇式司令部偵察機使用、調布飛行場)
飛行第18戦隊(三式戦闘機〈飛燕〉使用、調布飛行場)
飛行第47戦隊(二式単座戦闘機〈鍾馗〉使用、柏飛行場)
飛行第244戦隊(三式戦闘機使用、調布飛行場)
東部軍直協飛行隊[* 4]
地上部隊
飛行第53戦隊の二式複座戦闘機(屠龍)
第3飛行場大隊
第6飛行場大隊
第7飛行場大隊
第43飛行場大隊
第244飛行場大隊
第1対空無線隊
第2対空無線隊
第17航空情報隊