第1軍_(ドイツ軍)
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第1軍 (だい1ぐん、Deutsche 1. Armee)は、第一次世界大戦第二次世界大戦時のドイツ軍の部隊である。
第一次世界大戦

第1軍
創設
1914年
廃止1918年
所属政体 ドイツ帝国
所属組織ドイツ帝国
部隊編制単位
担当地域西部戦線
主な戦歴西部戦線
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第一次世界大戦中、第1軍は西部戦線で戦い、1914年8月のシュリーフェン計画に基づく、フランスベルギーへの攻勢に参加した。司令官アレクサンダー・フォン・クルック、参謀長ヘルマン・フォン・クール(英語版)の下で第1軍の任務は戦争を早期に終了させるため、フランスを南東から回り込んでパリを攻撃、包囲することであり、ドイツ軍戦線の最北端を担当していた。

第1軍は戦線1マイル当り、約18,000名(1mあたり10名)の戦力があり、大きな打撃力を所持していた。そのため、8月20日にはブリュッセルの占領に成功、フランス軍の撃破に成功したが、9月初旬、英仏連合軍の反撃によりマルヌ会戦が始まると、パリ手前13マイルの地点で攻撃を止められた。司令官クルックは1915年3月、足に重傷を負い交代した。
司令官

着任離任階級(当時)氏名
1914年1915年
大将アレクサンダー・フォン・クルック
1915年1916年大将マックス・フォン・ファベック
1916年1918年大将フリッツ・フォン・ベロウ

第二次世界大戦

第1軍
創設
1939年8月26日
廃止1945年5月9日
所属政体 ドイツ国
所属組織ドイツ国防軍陸軍
部隊編制単位
担当地域西部戦線
主な戦歴西部戦線
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1936年8月26日、第1軍はエルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン大将の元、設立され、マジノ線沿いにドイツ国境の防衛を担当した。その後、フランス侵攻に参加、1944年中頃までは大西洋沿岸に駐屯、連合軍の上陸作戦に備えていた。

1944年6月時には、G軍集団隷下でビスケー湾岸にあった。連合軍によるノルマンディー上陸作戦が発動されると、第1軍は1944年8月、西部戦線のドイツ軍の全面的な退却後にロレーヌで再編成を行った。ドイツ軍最前線での戦いの間、ヴォージュ山脈北部でアメリカ第7軍を防御しつつも、モーゼル川を横断してメスを占領しようとするアメリカ第3軍に対しても防衛戦を同時に行った。しかし、11月、両戦線において敗退、第1軍はドイツ国境へ撤退し、ザール地方の防衛を担当した。

ドイツ軍がアルデンヌにおいて攻勢を仕掛けた時、アメリカ第3軍がバストーニュ救援のために北進している間、第1軍はノルトヴィント作戦(北風作戦)を行い、1945年1月1日、アメリカ第7軍を攻撃、戦線を押し広げ、アメリカ軍を一部撤退させた。しかし1月後半、北風作戦は失敗に終わり、連合軍がドイツ防衛線を突破、第1軍はジークフリート線まで押し戻され、ライン川東岸へ撤退した。

その後、第1軍はドナウ川アルプス山脈方面へ撤退、1945年5月6日に降伏した。
司令官

着任離任階級(当時)氏名
1939年8月26日1940年10月23日歩兵
大将エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン
1940年10月24日1944年5月2日歩兵大将ヨハネス・ブラスコヴィッツ
1944年5月3日1944年6月3日装甲兵大将ヨアヒム・レメルセン
(Joachim Lemelsen)
1944年6月4日1944年9月5日歩兵大将クルト・フォン・デア・シュヴァルリー
(Kurt von der Chevallerie)
1944年9月6日1944年11月29日装甲兵大将オットー・フォン・クノーベルスドルフ
1944年11月30日1945年2月27日歩兵大将ハンス・フォン・オープストフェルダー
1945年2月28日1945年5月4日歩兵大将ヘルマン・フェルチュ
(Hermann Fortsch )

参考文献

Barbara Tuchman The Guns of August Ballantine Books- New York 1962
ISBN 0-345-38623-X


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