第1次シルテ湾海戦
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第1次シルテ湾海戦(だいいちじシルテわんかいせん)は、第二次世界大戦中の、イギリス海軍イタリア海軍との間で戦われた海戦である。1941年12月17日マルタの西、シルテ湾の北の地中海で生起した。海戦は引き分けに終わったが、両軍とも船団護衛という任務は達成した。
目次

1 背景

2 海戦前の状況

2.1 M41作戦

2.2 M42作戦

2.3 イギリスの補給作戦


3 両軍の部隊

3.1 イギリス

3.2 イタリア


4 海戦経過

5 海戦後

6 結果と影響

7 脚注

8 参考文献

背景

1941年11月北アフリカでイギリス軍はクルセーダー作戦を開始した。英軍の攻勢によりドイツアフリカ軍団は後退、包囲されていたトブルクの解放に成功した。枢軸国軍は12月13日までにベンガジの東のガザラで態勢を立て直した。

北アフリカの枢軸国軍では物資が欠乏しており、その状況を打破するためイタリアは大規模な補給作戦M41を実施しようとしていた。

一方、イギリスの拠点マルタも補給を必要としており、イギリス軍は補給作戦を行っていた。

この節の加筆が望まれています。

海戦前の状況
M41作戦

M41作戦では合計8隻の船からなる3つの船団が北アフリカへ向かう計画であったが、この作戦は最初から災厄に見舞われた。12月13日、集結場所へと向かっていた貨物船2隻がイギリス潜水艦アップライトにより沈められ、2隻が衝突して引き返した。また、この日にはトリポリまで燃料などを輸送中であった軽巡洋艦2隻も撃沈されている

残る4隻は駆逐艦5隻に護衛されて13日夜にターラントから出発した。その支援のため戦艦リットリオヴィットリオ・ヴェネト、駆逐艦4隻、水雷艇2隻が出撃したが、14日朝にヴィットリオ・ヴェネトがイギリス潜水艦アージの雷撃で損傷。作戦は中止となり、すべての艦船は引き返した。

イギリス軍は迎撃のため軽巡洋艦ナイアドガラティアユーライアラス、駆逐艦9隻をアレクサンドリアから出撃させた(ME9作戦)が、イタリア軍が引き返したためイギリス艦隊も撤収した。その途中でイギリスはドイツ潜水艦U557の雷撃によりガラティアを失った。
M42作戦

一度引き返した4隻は12月16日に再度ターラントから出発した。7隻の駆逐艦と1隻の水雷艇が船団を直接護衛し、近接護衛部隊として戦艦カイオ・ドゥイリオ、軽巡洋艦エマヌエレ・フィリベルト・デュカ・ダオスタライモンド・モンテクッコリムツィオ・アッテンドーロ、駆逐艦3隻が、遠距離護衛部隊として戦艦リットリオ、アンドレア・ドリアジュリオ・チェザーレ、重巡洋艦トレントゴリツィア、駆逐艦10隻が出撃した。

マルタを偵察した偵察機が2隻のイギリス戦艦の存在を報告したため船団には強力な護衛部隊がつけられたが、その報告は誤報であった。
イギリスの補給作戦

ME9作戦では、マルタへの補給物資を積んだ輸送船ブレコンシャーをアレクサンドリアからマルタへ向かせることも計画されていた。ブレコンシャーはナイアドなどの帰還を待って12月15日に出発した。

護衛部隊は軽巡洋艦ナイアドユーライアラス、防空巡洋艦カーライル、駆逐艦8隻で、フィリップ・ヴァイアン少将が指揮を執った。このうちカーライルと駆逐艦2隻は途中でアレクサンドリアへ引き返した。マルタからもK部隊と第4駆逐群の軽巡洋艦オーロラペネロピ、駆逐艦6隻が出撃し、さらに軽巡洋艦ネプチューンと駆逐艦2隻からなるB部隊もそれに続いた。

ヴァイアンの部隊とK部隊は12月17日8時に合流した。
両軍の部隊
イギリス

第15巡洋艦戦隊(フィリップ・ヴァイアン
少将)

軽巡洋艦ナイアド(旗艦)、ユーライアラス


第14駆逐群(マック大佐)

駆逐艦ジャーヴィス、キンバリー、キプリング、ニザム、ハヴォック、デコイ


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