カンザスシティ
チーフスグリーンベイ
パッカーズ
(AFC代表)(NFC代表)
1035
1234
計
KC01000
10
GB77147
35
開催日1967年1月15日
スタジアムロサンゼルス・メモリアル・コロシアム
開催地ロサンゼルス
MVPバート・スター(QB)
優勝予想パッカーズ(14点)
国歌斉唱アリゾナ大学およびミシガン大学マーチングバンド
コイントスノーム・シャクター
第1回AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム(The first AFL-NFL World Championship Game)はアメリカにおけるプロ・アメリカンフットボールのチャンピオンシップゲーム。後に第1回スーパーボウル(Super Bowl I)と呼ばれた。1967年1月15日、カリフォルニア州ロサンゼルスにあるロサンゼルス・メモリアル・コロシアムにて開催された。
ナショナル・フットボール・リーグ(NFL)チャンピオンのグリーンベイ・パッカーズ(12勝2敗)が後半に3タッチダウンをあげ、アメリカン・フットボール・リーグ(AFL)チャンピオンのカンザスシティ・チーフスに対し35対10で勝利した。
背景
はじまり当日のロサンゼルス・メモリアル・コロシアム
第1回のAFL-NFLワールドチャンピオンシップゲームは、1966年6月8日にAFLとNFLの間で合意されたAFL-NFL合併の中でその開催が決定された。しかし、開催地はキックオフの6週間前まで決まらなかった。
この最初の試合に際し、お互いに強い対抗心を持つ2つのリーグはそれぞれが自分たちの優位性を証明するため各々のチャンピオンチームに相手チームを叩きのめすようプレッシャーをかけた。しかし多くのスポーツライターやファン達は、より古くからあるNFLならどのチームでも最近できたばかりのAFLのチャンピオンチームより強いだろうから、この組み合わせはミスマッチだろうと思っていた。
公式にはこの試合は「AFL-NFLチャンピオンシップゲーム」と命名されていたが、当時からほとんどのメディアは非公式な「スーパーボウル」という名称を使っていた。
カンザスシティ・チーフス詳細は「1966 Kansas City Chiefs season(英語)」を参照
カンザスシティ・チーフスはレギュラーシーズンに11勝2敗1分けの成績を収め、AFLチャンピオンシップゲームでは31対7でバッファロー・ビルズに勝利してAFL-NFLワールドチャンピオンシップゲームに進出した。
チーフスのハイパワーオフェンスはAFLにおいて合計448得点、ラッシングで2,274ヤード獲得していた。チーフスのランニングバックトリオ、マイク・ギャレット(801ヤード)、バート・コーン(521ヤード)、およびカーティス・マククリントン(540ヤード)は全員AFLのトップ10ラッシャーに名を連ねていた。クォーターバックのレン・ドーソンはパス284回中159回成功(パス成功率56パーセント)、獲得ヤード2,527、タッチダウンパス26の成績を収めAFLでトップのレイティングを誇るパッサーだった。ワイドレシーバーのオーティス・テイラーは、パスキャッチ58回、獲得ヤード1,297、タッチダウン8でチームの重要なディープターゲットだった。そしてタイトエンドのフレッド・アルバナズはパスキャッチ22回、獲得ヤード305、タッチダウン4でオールAFLチームに選ばれた6人のチーフス選手の内の一人だった。
チーフスはディフェンスも強力だった。オールAFLプレイヤーのジェリー・メイズとバック・ブキャナンがラインを支え、同じくオールAFLチームだったラインバッカーのボビー・ベルはランストップとパスカバレッジの両方に秀でていた。しかしそのもっとも強力なパートはセカンダリー陣で、やはりオールAFLプレイヤーだったセーフティのジョニー・ロビンソンとボビー・ハントは10インターセプトを、ディフェンスバックのフレッド・ウィリアムソンは4インターセプトを記録していた。チームはヘッドコーチのハンク・ストラムに率いられていた。
グリーンベイ・パッカーズ詳細は「1966 Green Bay Packers season(英語)」を参照
グリーンベイ・パッカーズは1959年にヴィンス・ロンバルディがヘッドコーチに就任してから実力をつけ、1961年、1962年、1965年および1966年シーズンにNFLチャンピオンシップで優勝していた。
パッカーズのベテランクォーターバック、バート・スターはNFLでパス251回中156回成功(パス成功率62.2パーセント)、獲得ヤード2,257、タッチダウンパス14、インターセプト3の成績を収めNFLのMVPに選出されていた。ワイドレシーバーのボイド・ダウラーとキャロル・デイルは二人で63キャッチ、1,336ヤードを記録し、フルバックのジム・テイラーはラッシングでチームトップの705ヤード、41回のパスキャッチで331ヤードを獲得していた[1]。チームの先発ハーフバックのポール・ホーナングはシーズン初めに負傷していたがイライジャ・ピッツがラン、パス合わせて857ヤードを獲得しホーナングの抜けた穴を埋めた。オフェンスラインにはオールプロガードのジェリー・クレイマーとフレッド・“ファジー”・サーストンに加えフォレスト・グレッグがおり、チームの勝利に大きな役割を果たした。
パッカーズはまた強力なディフェンスも擁しており、NFLチャンピオンシップゲームの最後のドライブでは、ダラス・カウボーイズがパッカーズ陣2ヤードまできたところを4回連続で止めていた。ディフェンシブラインではビル・クインランに代わりライオネル・オールドリッジが出場することになったが、ヘンリー・ジョーダンとディフェンシブエンドがラインを支えた。ラインバッカーのレイ・ニチキはランストップ、パスカバレッジ双方に優れ、セカンダリー陣はディフェンシブバックのハーブ・アダリーとウィリー・ウッドに率いられていた。ウッドはロンバルディが見出した無名の選手の一人でカレッジ時代はクォーターバックを務めており、NFLからはドラフトされなかった。1960年にパッカーズと契約したとき、彼はフリーセーフティにコンバートされ、12年のキャリアの中で9度オールプロチームに選ばれた。
チーフスの戦績週日付相手結果勝敗
レギュラーシーズン
1バイウィーク
29/11at バッファロー・ビルズ42?201-0
39/18at オークランド・レイダース32?102-0
49/25at ボストン・ペイトリオッツ43?243-0
510/2バッファロー・ビルズ14?293-1
610/8デンバー・ブロンコス37?104-1
710/16オークランド・レイダース34?134-2
810/23at デンバー・ブロンコス56?105-2
910/30ヒューストン・オイラーズ48?236-2
1011/6サンディエゴ・チャージャーズ24?147-2
1111/13マイアミ・ドルフィンズ34?168-2