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第八高等学校
(八高)
創立1908年
所在地愛知県名古屋市
初代校長大島義脩
廃止1950年
後身校名古屋大学情報学部
同窓会
正門(明治村に移築されたもの。2014年8月)
旧制第八高等学校(きゅうせいだいはちこうとうがっこう)は、愛知県名古屋市にかつて存在した官立旧制高等学校である。 1908年(明治41年)3月に設立され、文科・理科よりなる修業年限3年の高等科が設置された。略称は「八高」(はちこう / はっこう)。新制名古屋大学の前身校の一つで教養部の構成母体となった(教養部は1993年に廃止、情報文化学部に改組され、2017年には情報文化学部が情報学部に発展改組されている)。鹿児島の七高に続いて設立され、ナンバースクールの旧制高校としては最後となるものである。設立の背景には愛知県および名古屋市による熱心な高校誘致運動があった。 学生の半数以上は地元の愛知県出身者であるが、名古屋帝大への進学者は少なく、進学先トップは東京帝大が突出し、これに京都帝大が続いた(名古屋帝大は設立が1939年(昭和14年)と遅く、中部地方では1946年の愛知大学まで文系学部がなかった)。 校章は、熱田神宮の剣と算用数字の「8」を組み合わせたデザイン。校歌「銀扇空に」もあったが、代表的な歌は、寮歌「伊吹おろし」(中山久作詞、三橋要次郎作曲)で、名古屋大学において現在でも歌い継がれている。他の代表的寮歌は「春三月」(大島武夫作詞、本多龍成作曲)など。 校地は「瑞穂ヶ丘」または「瑞陵」と呼ばれたが、実際は低い丘の麓のような位置にある。現在は、名古屋市立大学滝子(山の畑)キャンパスとなっている。また、正門は博物館明治村に移築され、村の正門として活用されている。校地内に小規模な古墳があり「八高古墳」と呼ばれている。前方後円墳であるが、前方部は八高時代に食堂建設のために切り崩されて失われている。 設立当初の校地は名古屋市東区南外堀町(現・中区丸の内三丁目)の愛知一中の跡地に置かれ、その校舎を転用していた。
概要
沿革
1908年
3月:勅令第68号(文部省直轄諸学校官制中改正ノ件)により設置。
4月:文部省令第14号により大学予科を設置。
1930年2月 - 12月:反帝同盟事件。
学生37名検挙。うち3名放校、6名退学、都留重人ら10名除名。
1945年3月:3回にわたる米軍の空襲(名古屋大空襲)により校舎のほとんどを焼失。
1949年5月:法律第150号(国立学校設置法)により新制名古屋大学に包括される。
1950年3月:法律第51号(国立学校設置法の一部を改正する法律)により廃止。
校地の変遷と継承