第一次教科書問題
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第一次教科書問題(だいいちじきょうかしょもんだい)とは、1982年6月26日に文部省教科書検定により高校の歴史教科書において中国華北地域等アジアへの「侵略」を「進出」と書き換えさせたとして日本のマスコミがいっせいに報道したことをきっかけに、日本国内および外交上に生じた一連の騒動や問題。日中戦争では「進出」ではなく「侵入」「侵攻」への書き換え、「侵略」の削除や、東南アジアでは「進出」への書き換え[1]はあったものの、1982年の検定過程単体だけであれば、中国華北地域について、文部省の指導により「侵略」を「進出」に書き換えられた例は無かった。新聞報道も実際には文部省(当時)の検定官の圧力で侵略表現が薄められたことを問題にし、また、中国(ないし華北)への「侵略」を「進出」に変えさせた実例は無いとして、教科書誤報事件と呼ぶ者もいる[2][3][4]
問題の経緯
教科書検定をめぐる各社の報道

1982年(昭和57年)6月26日、大手新聞各紙および各テレビ局は、「文部省(現在の文部科学省)が、教科書検定において、高等学校用の日本史教科書の記述を(中国華北に対する)“侵略”から“進出”へと改めさせた」と一斉に報じた。『朝日新聞』は「教科書さらに『戦前』復権へ・『侵略』表現薄める・古代の天皇にも敬語」[5]、『毎日新聞』は「教科書統制、一段と強化・過去の日本、正当化・“自衛隊合憲”の記述定着」、『読売新聞』は「自衛隊成立の根拠を明記・明治憲法の長所も記述・中国『侵略』でなく『進出』」といった見出しが並んだ[6]。これらは、1980年戦後初の衆参同時選挙による自民圧勝により、自民党や一部学者グループによる”教科書偏向キャンペーン”に沿った検定圧力が1981年の『現代社会』教科から文部省の検定官らから強まった結果であった[7]

同日付の『東亜日報』では「日本、教科書検定強化、古代の天皇に敬語、侵略の用語を抑制」と二段で簡単に報道しただけであった。約二週間後の7月8日付社説でも取り上げられたが、この時点ではさほど大きな問題になってはいなかった[8]

7月23日、小川平二文部大臣が日教組委員長に「外交問題といっても、内政問題である」と発言したことと、松野幸泰国土庁長官が小川文部大臣に「日韓併合でも、韓国は日本が侵略したことになっているようだが、韓国の当時の国内情勢などもあり、どちらが正しいかわからない」と語ったことが報道された。これらの発言は中国や韓国で取り上げられ、批判報道が繰り広げられることになった[9]。韓国ではこの発言を契機に教科書検定が大々的に報道されるようになったと言われている。中国は国営新華社通信や共産党機関紙「人民日報」が繰り返し非難したのに続き、7月26日、肖向前第1アジア局長が日本大使館の渡辺幸治公使を呼び、「歴史を改竄した」「日中共同声明の精神に反する」などと抗議し、韓国政府も8月3日に日本政府に記述の是正要求を行い、大きな外交問題へと発展した[10]。こうした批判報道を受けて、日本 のメディアも「歴史認識問題」として歴史教科書問題を認識するようになった。

約一ヵ月後中国政府から公式な抗議があり、8月1日には、小川平二文相の訪中拒否を一方的に通告。また、韓国マスコミも反発した。
韓国国内の反応

共同通信ソウル支局長として韓国マスコミの反発ぶりを最初に日本に伝えたという黒田勝弘は、当時の韓国には、光州事件などを経て成立した全斗煥体制に、政権の正当性に関するコンプレックスがあったため、「反日」で国民を動員したいという事情があったと分析している[11][12]

韓国学学者の田中明はこの誤報事件問題当時の、ソウル在住の日本人の回想を紹介している。その日本人は教科書問題について韓国の新聞社から感想を求められたので「現物を見てからでないとコメントできない。一度それをみせてくれ」と求めたところ、そういうものは社にはないと言われたという。大々的なキャンペーンを張りながら、その基礎となる教科書なりコピーなりを持っているのだと思っていたが、「とすると、日本の報道を鵜呑みにしていて紙面を作っていたのか」と愕然としたという。田中はこの件について、もし日本で進歩陣営による多年にわたるキャンペーンがなかったら、果たして教科書問題は起きただろうか、と疑問を呈し、引き金となった中国の抗議が「日本の新聞報道によると」で始まっていたことは、まことに正直であったとしている[13][14]
1982年の国会答弁

1982年7月30日の第96回国会衆議院文教委員会にて文部省の鈴木勲初等中等教育局長は、「日中戦争における日本軍の中国侵略が『進出』それから『進攻』という用語に変えられている」という中国からの抗議について説明を求められたのに対し、「この華北への侵略というような点については、今回の検定の教科書を精査いたしましたが、この部分についての該当は当たらない」と答弁した[15]

同日の衆議院外務委員会にて文部省の藤村和男初等中等教育局教科書検定課長は、「表現が誤りだから訂正をしなければならなかったのかどうか」と見解を問われたのに対し、「ことしの春終了しました教科書の検定で、日本史、世界史の中で調べてみますと、原稿が『華北侵略』あるいは『全面的侵略』となっておって、それに意見をつけて『華北進出』『全面的進出』というふうに改められた事例は見当たらない」と答弁した[16]

これらの答弁は、「今年の検定で『侵略』を『進出』と変えた例はいまのところの文部省調査では見当たらない」(朝日新聞、7月30日)。


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