本項では、第一次世界大戦下の宣戦布告(だいいちじせかいたいせんかのせんせんふこく)について解説する。宣戦布告は、相手国との戦争に突入する正式な行為である。原則として、2ヵ国以上の主権国家との間で戦争状態を発生させるために、行為遂行的な発言(単なる演説と混同してはならない)や政府に認可された当事者による署名が行われる。第一次世界大戦においては、正式な宣戦布告に関する国際的な取り決めは開戦に関する条約(1907年)により定義された[1]。国家間の敵対行為につながった、これらの出来事の裏側で行われた外交戦略については、第一次世界大戦の外交史
(英語版)を参照。以下の表は第一次世界大戦下で国家間の戦争状態が発生した日付(事実上の戦争状態が存在した日付)と宣戦布告した国、そして相手国をまとめたものである。記載されている出来事には、物理的な攻撃がない単純な外交関係の断絶、明確な宣言や攻撃を伴う出来事が含まれる。
日付[2][3][4]宣戦布告した国相手国
1914年7月28日 オーストリア=ハンガリー帝国 セルビア王国
1914年8月1日 ドイツ帝国 ロシア帝国
1914年8月3日 ベルギー
フランス
1914年8月4日 イギリス帝国 ドイツ帝国
1914年8月5日 モンテネグロ王国 オーストリア=ハンガリー帝国
1914年8月6日 オーストリア=ハンガリー帝国 ロシア帝国
セルビア王国 ドイツ帝国
1914年8月8日 モンテネグロ王国
1914年8月12日 イギリス帝国 オーストリア=ハンガリー帝国
フランス
1914年8月23日 大日本帝国 ドイツ帝国
1914年8月25日 オーストリア=ハンガリー帝国
1914年8月28日 オーストリア=ハンガリー帝国 ベルギー
1914年11月1日 ロシア帝国 オスマン帝国
1914年11月5日 フランス
イギリス帝国
1914年11月1日 オスマン帝国 ロシア帝国
大日本帝国
イギリス帝国
1914年12月2日 セルビア王国 オスマン帝国
1914年12月3日 モンテネグロ王国
1914年12月5日 大日本帝国
1915年5月23日 イタリア王国 オーストリア=ハンガリー帝国
1915年8月21日 オスマン帝国
1916年8月28日 ドイツ帝国
1915年10月14日 ブルガリア王国 セルビア王国
1915年10月15日 イギリス帝国 ブルガリア王国
モンテネグロ王国
1915年10月16日 大日本帝国
フランス
1915年10月19日 イタリア王国
ロシア帝国
1916年3月9日 ドイツ帝国 ポルトガル
1916年3月15日 オーストリア=ハンガリー帝国
1916年8月28日 ルーマニア王国 オーストリア=ハンガリー帝国
ドイツ帝国 ルーマニア王国
1916年8月30日 オスマン帝国
1916年9月1日 ブルガリア王国
1917年4月6日 アメリカ ドイツ帝国
1917年4月7日 パナマ
キューバ
1917年6月27日 ギリシャ王国 オーストリア=ハンガリー帝国
ドイツ帝国
ブルガリア王国
オスマン帝国
1917年7月22日 タイ オーストリア=ハンガリー帝国
1917年7月22日 ドイツ帝国
1917年8月4日 リベリア
1917年8月14日 中華民国 オーストリア=ハンガリー帝国
1917年8月14日 ドイツ帝国
1917年10月26日 ブラジル
1917年12月7日 アメリカ オーストリア=ハンガリー帝国
1917年12月10日 パナマ
1918年4月23日 グアテマラ ドイツ帝国
1918年5月6日 ニカラグア オーストリア=ハンガリー帝国
1918年5月6日 ドイツ帝国
1918年5月23日 コスタリカ
1918年7月12日 ハイチ
1918年7月19日 ホンジュラス
関連項目
第二次世界大戦下の宣戦布告
イギリスの対独宣戦布告 (1914年)
アメリカ合衆国の対独宣戦布告 (1917年)
アメリカ合衆国の対墺洪宣戦布告
脚注^ ⇒On the Opening of Hostilities; 1907; Yale