第一勧銀グループ(だいいちかんぎんグループ、英語:DKB GROUP)は第一勧業銀行(現・みずほ銀行)の融資系列からなる企業グループである。社長会は三金会(さんきんかい)という。 旧財閥系企業は戦後企業集団という新しい形で再結集した[1]。旧財閥のうち戦前の財閥時代から金融・産業両部門において殆どあらゆる分野に傘下企業を持っていた三井・三菱・住友の三大財閥はほぼそのままの形で企業集団として再結集した[注 1][2]。だが三大財閥以外に金融部門を中心とした財閥や特定の産業部門を中心とした財閥も多数存在し[2]、総合財閥でないこれらの財閥は銀行を中心とした金融系列に基づく企業集団を形成した[3]。 これらの融資系列を母体として登場した企業グループが芙蓉グループ・三和グループと本項目で述べる第一勧銀グループである[4]。すなわち旧安田財閥を中心に旧浅野財閥・旧森コンツェルン・旧日産コンツェルン等を系列化して富士銀行(現・みずほ銀行)を中核として誕生したのが芙蓉グループであり[4]、旧鴻池財閥と旧山口財閥を中心に日新製鋼・積水化学工業・帝国人絹・日本レイヨン・丸善石油等を系列化して三和銀行(現・三菱UFJ銀行)を中核として誕生したのが三和グループ(三水会・みどり会)であり[4]、旧渋沢系・旧古河財閥・旧神戸川崎財閥・旧鈴木商店系他の第一銀行取引先と勧銀十五社会他の日本勧業銀行取引先を系列化して誕生したのが第一勧銀グループである[4]。 ここでは2019年現在の三金会加盟企業及び既に三金会を退会した元加盟企業を掲載する。
概要
基になったグループ
古河三水会(古河グループ)
古河財閥の流れをくむ企業グループであり、古河機械金属(旧・古河鉱業)が母体企業。理事会社を中心に運営。1954年三水会発足時の、古河鉱業(現古河機械金属)、古河電気工業、旭電化工業(現ADEKA)、横濱護謨(現横浜ゴム)、富士電機製造(現富士電機)、富士通信機製造(現富士通)、日本軽金属、日本ゼオン、朝日生命保険の9社に、当初客員であったが1964年より正会員となったに第一銀行(現みずほ銀行)を加えた理事会社10社を中心に運営。
川崎睦会
神戸川崎財閥(松方コンツェルン)の流れをくむ企業グループ。川崎重工業が母体企業。メンバーは川崎重工業、川崎製鉄(現JFEスチール)、川鉄商事(現JFE商事)、川崎汽船の四社。
第一原子力グループ
1960年代、各企業グループが原子力産業
勧銀十五社会
日本勧業銀行を中心とした企業グループ。メンバーは富国生命、日産火災(現損保ジャパン)、兼松、勧角証券(現みずほ証券)、本州製紙(現王子製紙)、電気化学、安川電機、新潟鉄工所、三共(現第一三共)、資生堂、日本コロムビア、西武百貨店(現そごう西武)、後楽園スタヂアム(現東京ドーム)、日本通運、電通。非財閥系の企業が多かった。諸事情により第一勧銀グループへの参加を見送った電通以外の14社が、同グループの三金会に加盟することとなる。また特定企業グループを有さない日本長期信用銀行(現SBI新生銀行)等も参加していた。
グループ企業
渋沢系
みずほ銀行(第一勧銀グループの中核企業。第一勧業銀行の前身行・第一銀行の初代頭取を渋沢栄一が務めた)
澁澤倉庫(渋沢栄一が自ら創業、戦前は第一銀行経営陣が経営に関与)
清水建設[5](渋沢栄一が長く経営に関与)
IHI(前身の一社東京石川島造船所が渋沢系。鈴木商店系でもある。三井グループと重複加盟)[6]
いすゞ自動車(東京石川島造船所の自動車部門が発祥。鈴木商店系でもある)[6][5]
太平洋セメント(前身の一社秩父セメントが渋沢系、鈴木商店の流れも汲む。三井系の小野田セメントと合併して秩父小野田となり、渋沢栄一が経営支援していた安田系の浅野セメントの流れを汲む日本セメントと合併して太平洋セメントとなる。故に三井グループ・芙蓉グループにも加盟)[5]
帝国ホテル
デンヨー
東京海上日動火災保険(三菱グループ・芙蓉グループと重複加盟)
日本経済新聞
第一生命保険
テレビ東京
古河財閥系列
古河機械金属(旧足尾銅山の経営を渋沢栄一が支援していた)
古河電気工業
ADEKA
横浜ゴム
富士電機
富士通[5]
日本軽金属ホールディングス[5]
日本ゼオン
朝日生命保険
損害保険ジャパン(損保ジャパンが合併した大成火災海上保険は理事会社古河鉱業のもとで古河三水会会員企業であった)
澁澤倉庫(理事会社第一銀行のもとで古河三水会会員企業として参加)
神戸川崎財閥系列
川崎重工業(渋沢栄一の関与した汽車製造事業を神戸川崎財閥の祖業である川崎造船所が救済合併したため渋沢財閥系でもある)[5]
JFEスチール[5]
JFE商事[5]