第一列島線
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2015年7月)

第一列島線(だいいちれっとうせん)および第二列島線(だいにれっとうせん)は、中華人民共和国の安全保障分野においての概念のことであり、武力介入の指標でもあり、対米防衛線でもある[1]

本来はアメリカ合衆国の中国封じ込め政策(英語版)において設定された戦略ラインのことであった。
概要

もともとは1982年に、当時の最高指導者であるケ小平の意向を受けて、中国人民解放軍海軍司令員(司令官)・劉華清(1989年から1997年まで中国共産党中央軍事委員会副主席)が打ち出した中国人民解放軍近代化計画のなかの概念だが、1990年代以降の外交事情の変化によって殊更に重視される様になった。すなわち、1990年代までは、広大な国境線を接していたソビエト連邦への備えから、中国人民解放軍は陸軍を中心として組織されており[1]、海軍は、沿岸防備を行う程度の沿岸海軍であったが、冷戦が終結してソ連が崩壊し、東欧同盟国を失ったロシアが中国との関係改善に動き国境問題が解決した結果、中国人民解放軍の課題は台湾問題となり、一方で、第二次天安門事件台湾海峡危機の結果、中国人民解放軍の第一潜在仮想敵国はロシアから、台湾を支援するアメリカ合衆国に変わったからである。1993年には、李鵬首相が全国人民代表大会で「防御の対象に海洋権益を含める」と表明した。1997年に石雲生が海軍司令員に就任すると、沿岸海軍から「近海海軍」への変革を本格化させた。その中で打ち出された「海軍発展戦略」の中でも、第一列島線および第二列島線の概念が強調された[要出典]。

法制面では、1992年に、尖閣諸島西沙諸島南沙諸島を中国の領土であると規定した「領海および接続水域法」(領海法)を施行し、海洋の管理権と海洋権益等に関する独自の法整備を行った。さらに1997年、国防の範囲に海洋権益の維持を明記した「国防法」を施行、さらに現在、国家海洋局が中心となって、島嶼の管理を強化する「海島法」の立法作業を進めている。
計画の目的

短期的には対米国防計画、長期的には中国が世界に同盟国を持つ覇権国家に成長するための海軍建設長期計画。具体的には、2010年までは第一列島線に防衛線を敷き、その内側の南シナ海東シナ海日本海へのアメリカ海軍空軍の侵入を阻止することである。[要出典]
計画の位置づけ

中国人民解放軍の最高意思決定機関は国務院(内閣)ではなく、国家中央軍事委員会であるが、1997年まで中央軍事委員会常務副主席であった劉華清が、ケ小平の意向に従って打ち出した方針と言われる。通例、中央軍事委員会主席は中国共産党中央委員会総書記が兼任するので、副主席は事実上軍のトップである。陸軍主導の中国人民解放軍にあって、劉華清は異例の海軍出身の副主席であり、当然海軍の最高実力者でもあった。ケ小平も劉華清も引退したが、中越戦争で陸・空軍近代化が、台湾海峡危機で海軍の近代化・強化が重要な事、及び米海軍が台湾武力併合の障壁になる事は誰の目にも明らかになり、計画の方向性の正しさが実証された為、現在も継続して推進されている[要出典]。

但し当然の事ながらこれら第一、第二列島線概念は公式に対外的にアナウンスされた方針ではなく[1]、あくまで人民解放軍内部の国防方針である。

同副主席が掲げた海軍建設のタイムスケジュール

「再建期」 1982-2000年 中国沿岸海域の完全な防備態勢を整備 ほぼ達成済み

「躍進前期」 2000-2010年 第一列島線内部(近海)の制海権確保。

「躍進後期」 2010-2020年 第二列島線内部の制海権確保。航空母艦建造

「完成期」 2020-2040年 アメリカ海軍による太平洋インド洋の独占的支配を阻止

2040年 アメリカ海軍と対等な海軍建設

現在までの進捗状況

躍進期前期が5年ほどずれ込み2015年頃に近代化が一巡する見込みである。


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