笠松競馬場
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笠松競馬場
入場門
施設情報
通称・愛称名馬・名手の里 ドリームスタジアム
所在地岐阜県羽島郡笠松町若葉町12番地
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度22分19.8秒 東経136度46分3.1秒 / 北緯35.372167度 東経136.767528度 / 35.372167; 136.767528座標: 北緯35度22分19.8秒 東経136度46分3.1秒 / 北緯35.372167度 東経136.767528度 / 35.372167; 136.767528
開場1935年昭和10年)
所有者岐阜県地方競馬組合
管理・運用者岐阜県地方競馬組合
収容能力16,000人
コース
周回右回り
馬場ダート(1周1100m)
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笠松競馬場(かさまつけいばじょう、Kasamatsu Racecourse)は、岐阜県羽島郡笠松町(一部施設は同郡岐南町にまたがる)にある地方競馬競馬場である。
概要

地方競馬から中央競馬への移籍騎手第1号となった安藤勝己柴山雄一が在籍していた競馬場として知られ、昭和から平成にかけて「怪物」フェートノーザン、「名馬」オグリキャップや「女傑」マックスフリート、その後もオグリローマンライデンリーダーレジェンドハンターラブミーチャンなどを輩出しており中央地方の枠を超えて注目を集めることが多い競馬場の一つである。2004年平成16年)に「名馬・名手の里 ドリームスタジアム」の愛称がつけられ、各種PRに用いられている。

競馬の主催者は岐阜県地方競馬組合(岐阜県、笠松町、岐南町で構成される一部事務組合)。オッズパークD-Net加盟競馬場。名古屋競馬と交互に開催され名古屋競馬開催時は場外発売を行う。また、全国でも珍しい滞在型交流を実施しており、冬季期間中は金沢競馬場所属の競走馬が所属変更することなく笠松競馬場・名古屋競馬場の両方の馬房に滞在してレースに出走する。馬だけでなく、調教師などの関係者や、騎手も毎年10名前後滞在してレースに参加する。トータリゼータシステム日本ベンダーネット

発売締切前に流れる曲はフランク・ミルズの『愛のオルゴール』であったが、2011年(平成23年)10月3日に曲を変更。さらに、2021年令和3年)9月8日からの開催再開に伴い『FINE PLAY!』に一新された。

かつての最寄駅は名古屋鉄道名古屋本線東笠松駅で、競馬開催時には優等列車も停車していたが、利用客減少から2005年(平成17年)1月29日に廃止された。現在の最寄駅は隣の笠松駅である。笠松駅は快速特急・特急停車駅であるが、ミュースカイはすべて当駅を通過し、競馬開催日でも臨時停車は行われない。
歴史
前史
地方競馬規則の制定

1927年(昭和2年)に地方競馬規則が制定され、馬産県の岐阜県には中津競馬場(恵那郡中津町(現在の中津川市))、各務原競馬場(高須競馬場を買収して1931年に創設)、養老競馬場(1938年創設)が設置された[1]

このうち1927年に創設された中津競馬場が1934年(昭和9年)に移転して創設されたのが笠松競馬場である[1]
中津競馬場.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

大分県中津市に所在した競馬場については「中津競馬場」をご覧ください。

1927年(昭和2年)、恵那郡中津町大字駒場(現:中津川市)に中津競馬倶楽部によって開設された競馬場。馬場は1周800m。

1933年(昭和8年)秋までに春秋14回(41日間)開催されたが、山間部であることから入場者が少なく、経営困難となった。移転先として岐阜市大垣市土岐郡多治見町(現:多治見市)が候補となる[2]が、1934年(昭和9年)に羽島郡八剣村(現:岐南町)へ移転が決まり、その後笠松町に変更された。

跡地の一部は農地、宅地、岐阜県立中津商業高等学校第2グラウンドとなっている。また、1929年(昭和4年)に中津競馬倶楽部有志によって建立された馬頭観音の石碑が残っている。
戦時中の笠松競馬場

先述のように、1927年に創設された中津競馬場は1934年に移転して笠松競馬場となり、1938年時点で岐阜県内には笠松競馬場、各務原競馬場、養老競馬場の3か所の競馬場が開設されていた[1]


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