笠覆寺
本堂
所在地愛知県名古屋市南区笠寺町上新町83番地
位置北緯35度5分58.35秒
東経136度56分12.09秒
笠覆寺(りゅうふくじ)は、愛知県名古屋市南区笠寺町にある十一面観音を本尊とする真言宗智山派の寺院。山号は天林山。一般には笠寺観音(かさでらかんのん)の通称で知られる。尾張四観音の一つで、その他尾張三十三観音、名古屋二十一大師やなごや七福神などの霊場の札所である。 ⇒[1] 寺伝によれば、天平5年(733年、一部文書には天平8年-736年)、僧・善光(または禅光)が浜辺に打ち上げられた流木を以て十一面観音像を彫り、現在の南区粕畠町にその像を祀る天林山小松寺を建立したのが始まりであるという。 その後1世紀以上を経て堂宇は朽ち、観音像は雨露にさらされるがままになっていた。ある時、旅の途中で通りかかった藤原兼平(藤原基経の子、875年-935年)が、雨の日にこの観音像を笠で覆った娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とした。この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され、笠で覆う寺、即ち笠覆寺と名付けられたという。笠寺の通称・地名等もこの寺院名に由来する。 鎌倉時代には塔頭寺院が派生し、僧・阿願によって境内には鐘楼が造られ、尾張三名鐘に数えられる梵鐘が鋳造された。この鐘は建長3年(1251年)の銘があり[1]、愛知県の有形文化財に指定されているが、大晦日には除夜の鐘として参拝者も撞くことができる。 明治時代初期の廃仏毀釈その他の影響で一時期荒廃が進むが、昭和時代に住職らの努力で隆盛を取り戻し、現在に至っている。厄よけや藤原兼平と姫の故事にちなんで、縁結びを祈る参拝者も多いという。[2] 尾張三十三観音、名古屋二十一大師の札所であり、また昭和30年頃には名古屋市観光協会の後援により大名古屋十二支恵当寺で巳年の護り本尊の普賢菩薩の霊場になり、昭和62年にはなごや七福神の恵比寿の霊場になった。
目次
1 歴史
2 行事等
3 境内
4 ギャラリー
5 文化財
6 アクセス
7 その他
8 参考文献
9 脚注
10 外部リンク
歴史
行事等
2月の節分会には豆まき祈祷が行われる。
毎月18日の観音の縁日には、祈祷が行われる。
毎月「6」のつく「祈願日」(6,16,26日)には、祈祷が行われ、境内で青空市『六の市』が開かれる(雨天中止)。
毎月第四土曜日(8月,2月を除く)にはマルシェ『かんのんひろば』が開かれる(雨天中止)。第四土曜日が26日(六の市)の場合は、第三土曜日に開かれる。ハンドメイドの小物や、安心安全な食材が参道に並ぶ。 ⇒[2]
毎年8月9日は大功徳日「九万九千日(くまんくせんにち)」であり、祈祷が行われる。それと同時に多くの夜店が出店し、盆踊りや地元の中学校のジャズバンドによる演奏会なども行われる。
境内
本堂 - 本尊の十一面観音像は秘仏であり、開帳は8年ごとである(最近の開帳は2014年4月)。
護摩堂 - 本堂東側に連結されている。弘法大師、不動明王、恵比須、大黒天など諸尊を安置。
医王殿(薬師堂) - 薬師如来像を安置
善光寺堂 - 阿弥陀如来像を安置
多宝塔 - 阿弥陀如来像を安置
役行者堂
延命地蔵堂
白山社
六地蔵堂
稲荷社 - 荼吉尼天
放生池 - 通称「亀の池」。多くのカメが生息し、地域のシンボルとして周辺住民により生態調査が行われている。2010年に井戸水による給水を始めた。
ギャラリー本堂(西側より) 本堂(東側より) 放生池と仁王門 仁王門 西門 多宝塔 鐘楼 放生池 西方院山門(笠覆寺塔頭のひとつ) 西方院本堂(笠覆寺塔頭のひとつ) 西方院堂宇(笠覆寺塔頭のひとつ) 泉増院境内(笠覆寺塔頭のひとつ) 泉増院堂宇(笠覆寺塔頭のひとつ) 東光院山門(笠覆寺塔頭のひとつ) 東光院本堂(笠覆寺塔頭のひとつ) 東光院天満宮(笠覆寺塔頭のひとつ)