笠原弘子
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出典検索?: "笠原弘子" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年6月)

かさはら ひろこ
笠原 弘子
プロフィール
本名笠原 弘子[1]
性別女性
出生地 日本新潟県[2]
出身地 日本東京都[2]
生年月日 (1970-02-19) 1970年2月19日(54歳)
血液型A型[3]
身長155 cm[4]
職業声優歌手舞台女優
事務所尾木プロ THE NEXT[5]
公式サイト笠原弘子|尾木プロ THE NEXT

声優活動
活動期間1983年 -
ジャンルアニメゲーム吹き替え
デビュー作カチュア・ピアスン(『銀河漂流バイファム』)[6]
女優活動
活動期間1975年[7] -
ジャンルテレビドラマ舞台
音楽活動
活動期間1986年 -
ジャンルJ-POPアニメソング
職種歌手
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

笠原 弘子(かさはら ひろこ、1970年2月19日[4] - )は、日本女性声優歌手舞台女優尾木プロ THE NEXT所属[5]新潟県出身、東京都育ち[2]
経歴

1975年[7]、引っ込み思案を直すために、「明るく活発な子にするには劇団に入れればいいのでは」と伯母の提案で児童劇団であった劇団こまどり(後のグループこまどり)に入団した[6][8]。小学生時代はNHK教育テレビの道徳番組『みんななかよし』に2年間レギュラー出演するなど、子役として活躍していた。

1983年、中学2年生の時にアニメ『銀河漂流バイファム』のカチュア・ピアスン役で声優デビュー[7]。「顔を出さなくていいから学校にばれない」という理由で、中学・高校時代は声優の仕事が主だった。

1985年の夏に高校1年生の時にミュージカル『ピーターパン』に出演。高校2年生の時に漫画『シャンペン・シャワー』のイメージアルバムの中の1曲「告白 ?愛しのジョゼ」を歌って歌手デビュー。その後も『究極超人あ?る』を始め、イメージカプセルシリーズのイメージアルバムに多く出演した。高校卒業を待ってファーストシングル「Believe yourself Again」、その年末にファーストアルバム「スローガラスの輝き」を出す。

以後、声優としても歌手としても活動している。2003年、長年過ごしたグループこまどりを離れ、ラブライブ(現尾木プロ THE NEXT)に移籍。2005年、デビュー30周年を迎え、記念ライブを昼夜2回公演で行った。
人物

子供の頃は大人しい性格だったが、本当は家では内弁慶で、
ピンクレディなどを歌う子供だったと言う[6][9]

子役の頃は恐怖心などを特に感じることなく演技を行うことができたが、物心ついてからは大勢の知らない人がテレビで見ることを意識するようになって、カメラを向けられることに多少の恐怖心を抱くようになった。10代や20代になってもラジオ番組などに主演すればただ相槌を打つだけで、アフレコスタジオでも挨拶をしたらずっと台本を見るなど、引っ込み思案は治らなかった。2017年時点で引っ込み思案は変わらないという[10]

当時ここまでコンスタントなCD発売など歌手活動をする声優は珍しく、その抜群の歌声と歌唱力から「声優界の歌姫」とも言われている[11]。笠原自身は「自分も両親もセレブじゃないのになんでだろう?」と不思議に思っていた[12]。さらにアニメ『ロミオの青い空』では、自身が声優として参加していないにも関わらず主題歌を担当した事は声優業界において特例的で、歌手としての評価が高かった事を証明している[注 1]。それ以来「グループこまどり時代の先輩に冨永みーなが在籍していたため、コンサートのプロデュースをして貰うなど現在でも親交が厚い。同じく「こまどり」の後輩だった藤枝成子坂本真綾と合わせて「声優界のこまどり姉妹」と呼ばれていた。ただ歌手デビュー当初、こまどりの西村サエ子代表はあくまで「笠原は役者なので」と音楽業界関係者に対して言っておいたため、笠原はその頃役者として歌っていたという感じであった[13]。2017年時点では歌うことを楽しんでいるが、10代や20代の頃は仕事と割り切っていた[14]。その一方で30代に入りラジオ番組内で堀江美都子から、歌と芝居とどちらが好きかと問われ、「歌う事のほうが好き」と答えている。

冨永が『魔法の妖精ペルシャ』のペルシャを演じていて、「私もやりたいなぁ」と思っていた所、『魔法のエンジェルスイートミント』にて主人公ミント役が来た時は「ああ、魔法の呪文が言える」と大変喜んだという[6]

1987年の『究極超人あ?る』以降、山本正之との親交も深く、笠原のファーストアルバムに曲を書いた他、山本正之のアルバムでもソロ曲やデュエット曲を歌っており、彼のコンサートにゲスト出演をしたこともある。

アニメ・ゲーム業界でのファンも多く、出演作品の中には製作者からのリクエストで出演が決まった物も多い。『魔法騎士レイアース』の鳳凰寺風役で女性からの人気を一気に獲得した。


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