笑福亭 福松(しょうふくてい ふくまつ)は、上方落語の名跡。3代目の死後は空き名跡となっている。 五枚笹は、笑福亭一門の定紋である。目次 初代 .mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}笑福亭(しょうふくてい) 福松(ふくまつ)
1 初代
1.1 弟子
2 2代目
3 3代目
4 出典
5 関連項目
初代
本名国島 福松
生年月日1858年
没年月日1904年10月14日
出身地 日本・大坂
師匠桂梅丸
2代目笑福亭圓笑
弟子笑福亭福二
2代目笑福亭福松
笑福亭璃喜松
笑福亭圓若
笑福亭松光
笑福亭勢楽
3代目笑福亭福松
笑福亭福寿
桂福楽
笑福亭福助
笑福亭小福松
笑福亭福我
初代笑福亭福團治
名跡1.初代笑福亭福松(1864年 - 1904年)
出囃子新鍛冶屋
活動期間1864年 - 1904年
活動内容古典落語
寄席舞踊
所属桂派
三友派
主な作品
『紙屑屋(浮かれの屑より)』
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初代 笑福亭 福松(安政5年(1858年) - 明治37年(1904年)10月14日)は、本名: 国島 福松。享年47。出囃子は『新かじや』。
大坂交野町梅ケ枝(現 大阪府交野市梅が枝)生まれ。生家は銅細工師で母は産婆をしていたという。3、4歳から芸事に親しみ軽業師や歌舞伎俳優に弟子入りするも器に会わず、元治元年(1864年)の数え7歳の時、初代桂文枝門下の桂梅丸
(『落語系圖』には桂慶治)門下となる。翌年、2代目笑福亭松鶴(後の2代目笑福亭圓笑)門下に移り、福松(本名にちなみ)を名乗る。子役として活躍し、世の賞賛をさらった。青春時代長らく1884年まで約10年間京都の笑福亭で真打を張り活躍したが芸妓とふしだら関係を持ったことで京都にいられなくなり大阪に戻った。
1893年10月、桂派に対抗し、2代目月亭文都、3代目笑福亭松鶴、2代目桂文團治らと共に三友派を結成し、最後まで派の主力として活躍した。三友派の芸風そのままの華やかな高座で、人気実力ともに最高を極め、法善寺紅梅亭の席亭・原田ムメの覚えが最もめでたかった。その後松屋町神明社内の吉福亭の経営など政治的手腕も発揮し三友派の看板として活躍。
1903年に一門約20数名を引きつれ上京し睦会の各主要席に出演、この頃から笑福亭松鶴の襲名の準備をしていたが、翌年、1904年に死去した。3回忌には銅像が建てられたが第二次世界大戦の真っ只中に金属不足にて供出されて現存しない。墓所は一心寺。
十八番は『紙屑屋(浮かれの屑より)』。踊りの名手でもあり、『大文字屋』を得意とした。 2代目 笑福亭(しょうふくてい) 福松(ふくまつ) 2代目 笑福亭 福松(1868年ないし1869年 - 1945年1月)は、本名: 河合福三郎。享年不詳。3代目笑福亭圓笑の実弟。
弟子
笑福亭福二
2代目笑福亭福松
笑福亭璃喜松
初代三遊亭圓若
笑福亭松光
笑福亭勢楽
3代目笑福亭福松
笑福亭福寿
桂福楽
笑福亭福助
笑福亭小福松
笑福亭福我 初代笑福亭福團治
2代目
本名河合 福三郎
生年月日不詳年
没年月日1945年1月
出身地 日本
師匠3代目笑福亭松鶴
初代笑福亭福松
名跡1. 笑福亭里キ松(1886年 - ?)
2. 笑福亭璃幸(時期不明)
3. 2代目笑福亭璃鶴(? - 1902年)
4. 笑福亭福圓(1902年 - 1913年)
5. (亭号不明)左文治(1913年 - 1914年)
6. 桂福松郎(1914年 - 1918年)
7. 2代目笑福亭福松(1918年 - 1945年)
活動期間1886年 - 1945年
活動内容上方落語
家族3代目笑福亭圓笑(兄)
所属京桂派
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