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出典検索?: "笑パーティー"
笑パーティーは1980年代に活動したコミックバンド、コントトリオ。表記が「笑・パーティー」(中に点が入る)だったこともある。 1982年に結成[2]。ばんきんや、松元ヒロ、石倉チョッキの3人によるコミックバンドや、コントが主体。特に松元ヒロのパントマイムは評判が高かった。六本木のショーパブ「バナナパワー」等で活動。杉浦正士は構成や演出を担当していた。 1983年に『お笑いスター誕生!!』へ出場。4週勝ち抜き、銅賞を獲得する。その後、オープントーナメントサバイバルシリーズでは上位進出の常連として活躍。第4回には優勝し、賞金100万円を獲得した[2]。第2、3、6回でも決勝に進出している。 1988年に「キャラバン」、「ジョージボーイズ」とともに社会風刺コントグループの「ザ・ニュースペーパー」を結成[3]したため、自然消滅した。後に3人はいずれも「ザ・ニュースペーパー」を退団している。 ばんきんやはコミックバンド「バンバンG」のリーダーとして活動する一方、2000年、東京都目黒区にミュージックライブハウス「バンバンG」を開いていたが、2009年に閉店した[4]。 松元ヒロはピン芸人として活動。 石倉チョッキは「石倉直樹」名義でピン芸人として活動する。すわ親治、松崎菊也と政治風刺ライブ&冗談音楽「はだかの王様」を年4回公演していたが、2012年4月に終了した[5]。また、2002年にはすわ親治と「浦安ナイトクラブ」を結成し活動していた。 杉浦正士はトリック・スター社の代表として「ザ・ニュースペーパー」の舞台構成、演出担当として活動[6]。2008年に代表を降り、替え歌シンガー杉笑太郎と名前を変えてデビュー、その後コウタとのデュオでも活動した。
メンバー
ばんきんや(東京都出身、1952年- ) リーダー、ギター担当。
コミックバンド「チロリン5」元メンバー。
松元ヒロ(まつもと ひろ 鹿児島県出身、1952年10月19日 - ) ベース担当。
元パントマイマー。師匠はヨネヤマ・ママコ。
石倉チョッキ(いしくら ちょっき 本名石倉直樹、愛知県出身、1957年8月26日 - ) ドラム担当。
桑沢デザイン研究所卒業。
杉浦正士(すぎうら まさひろ 本名同じ、東京都出身、1947年 - ) 構成、演出。舞台には登場しない影のメンバー[1]。
元ダ・カーポマネージャー。ヨネヤマ・ママコに師事。彼らが所属したドゥー企画の社長。
概要
受賞歴
1984年 『お笑いスター誕生』第4回オープントーナメントサバイバルシリーズ優勝
1986年 第1回NHK新人演芸コンクール <演芸部門>優秀賞[2]
レコード
「雨の丸の内」(1987年、ポリドール)
脚注^ 『お笑いスター誕生!!』やレコードジャケットにも出ていない。
^ a b c 「「笑パーティー」が公演 22日から、新宿コメディシアター」読売新聞東京夕刊、1987年5月15日、13頁。
^ 「社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」/介護保険、少年犯罪などテーマに/16日大阪、17日神戸/コント約10本上演」、神戸新聞夕刊、2000年10月13日、7頁。
^ R500m (2009年11月9日). “ ⇒閉店のお知らせです★”. 2012年11月17日閲覧。
^ はだかの王様 (2012年4月). “ ⇒急告!! 重要なお知らせ”. 2012年11月17日閲覧。
^ 憲法メディアフォーラム (2005年). “インタビュー 「直言40」「ザ・ニュースペーパー」プロデューサー 杉浦正士さん
外部リンク
⇒ライブハウス バンバンG ばんきんやのライブハウス「バンバンG」公式HP。
⇒はだかの王様 石倉直樹他のライブ「はだかの王様」公式HP。
表
話
編
歴
お笑いスター誕生!!
司会
桂米丸(審査委員長) - タモリ - 赤塚不二夫 - 京唄子 - 鳳啓助 - 東八郎 - 三波伸介 - 獅子てんや - 瀬戸わんや - 伊東四朗 - 近江俊郎 - 内海好江 - ガッツ石松 - 牧伸二 - 大山のぶ代 - 水野晴郎 - 横森良造 - 小松政夫
グランプリシリーズ
グランプリ獲得者
B&B(島田洋七・島田洋八) - おぼん・こぼん - ギャグ・シンセサイザー - 九十九一 - 小柳トム - とんねるず(石橋貴明・木梨憲武) - 青芝金太・紋太 - アゴ&キンゾー(あご勇・桜金造) - 怪物ランド(平光琢也・赤星昇一郎・郷田ほづみ) - シティボーイズ(大竹まこと・きたろう・斉木しげる)