竹田 賢一(たけだ けんいち、1948年[1][2] - )は、日本の大正琴奏者、音楽評論家[3]。1970年代半ばから、当時ニュージャズと称されていたフリージャズ[4]や前衛的即興音楽の領域で、演奏家として活動するとともに、そうした即興的音楽についての評論を、音楽雑誌や文芸評論誌などに発表した。 1948年 東京都生まれ[1]。現代朝鮮研究所の研究生として東京都立大学 (1949-2011)在学時に「朝鮮革命研究会」を興すなど、活発な政治活動を行っていた[5]。ドロップアウトしたあと、1974年、天井桟敷館で劇団自動座の女優、ルビ新子のコンサートをプロデュースし、音楽活動を始める[6]。 1975年 坂本龍一と「学習団」という芸術-実践の運動体を組織した[7]。同年、間章に勧められてジャズ専門誌『ジャズ批評』や『ジャズ
経歴
1976年 坂本と土取利行とのコラボアルバム『ディスアポイントメント-ハテルマ』をプロデュース。即興演奏集団「ヴァイブレーション・ソサエティー」を三浦崇史と結成[7]。後に灰野敬二も参加した。
1979年「ヴェッダ・ミュージック・ワークショップ」を発足。大正琴の即興演奏はここから[7]。
』の発行に関わる[4]。1981年「反ポップ・バンド」を掲げたユニット A-Musik を率いて演奏活動を展開し[1][8]、1983年には、同時代音楽を発売元として1st.アルバム『e ku iroju』(エクイロジュ)を発表した[9]。A-Musik に参加し、アルバムに関わった中には、竹田のほか、小山哲人(ベース)、石渡明廣(ギター)、久下恵生(ドラムス)、時岡秀雄(サックス)、篠田昌巳(サックス)、工藤冬里(ピアノ)らがおり、さらに、曲によって高橋鮎生、千野秀一、箕輪攻機、坂本龍一、大熊ワタルらが加わっている。
2006年 ネット配信のみで、A-Musikの2nd.アルバム『生きているうちに見られなかった夢を』を発表。ゲスト・ヴォーカルにソウル・フラワー・ユニオンの中川敬が参加した。
2013年 初の著作集『地表に蠢く音楽ども』を発売。
2020年 意外なことに輪投げが得意なことが判明。町内老人会で優勝したとTwitterで明らかにした。
ディスコグラフィー
1983年 A-Musik 『e ku iroju』 LP
2006年 A-Musik 『生きているうちに見られなかった夢を』 ネット配信
著書
単著
地表に蠢く音楽ども、月曜社、2013年[1]
1975年から1990年にかけて発表された評論やライナーノートなどを収録
共訳書
インプロヴィゼーション:即興演奏の彼方へ、(デレク・ベイリー 著、斉藤栄一、木幡和枝との共訳)工作舎、1981年
サウンドの力:若者・余暇・ロックの政治学、(サイモン・フリス 著、細川周平との共訳)晶文社、1991年
なお、小説『少女A.』、『セロニアス・モンクの鐘』は、同姓同名の別人の作品である。
脚注^ a b c d e “ ⇒地表に蠢く音楽ども”. 月曜社. 2015年8月18日閲覧。
^ “竹田, 賢一, 1948- 検索結果”. 国立国会図書館. 2015年8月18日閲覧。
^ 松山晋也 (2013年9月9日). “(評・音楽)「裏窓」開店10周年記念イベント スリル満載、前衛ロック”. 朝日新聞・夕刊: p. 3. "中でも客席を沸かせたのが、音楽評論家としても著名な大正琴奏者の竹田賢一と、ガセネタやタコのシンガーとしてサブカルチャー界で異彩を放った山崎春美だ。" - 聞蔵IIビジュアルにて閲覧
^ a b “粉川哲夫氏インタビュー”. 法政大学学生会館文化史 1974-2004 (2011年12月23日). 2015年8月18日閲覧。
^ 『でもわたしには戦が待っている?斎藤和(東アジア反日武装戦線大地の牙)の軌跡』東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃と闘う支援連絡会議編、風塵社、2004年、p63?70
^ 『Free music 1960~80』、p141、ちゃぷちゃぷレコード、2016年
^ a b c 竹田賢一『地表に蠢く音楽ども』月曜社 2013年 著者略歴より