竹田津実
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竹田津 実(たけたづ みのる、1937年 - )は、日本の随筆家写真家獣医師大分県東国東郡竹田津町出身。大学卒業後、1991年まで獣医師として北海道の家畜診療所に勤務。キタキツネなどの野生動物の観察、撮影、治療、リハビリなどにも取り組む。写真集、随筆、児童書などの多数の著作がある。
経歴

幼い頃の夢は動物園の園長になることであった。このことが獣医学を専攻する切っ掛けとなる。大学入学直後に動物園の園長になることが難しいことがわかり、園長になることを諦める[1]。大学時代は、カナダのアルバータ州で獣医をすることを希望していたが断念[1]。大学卒業後は、北海道知床野生動物に憧れて、斜里町への就職をもとめたがかなえられず[2]、隣の町である斜里郡小清水町の家畜診療所に獣医師として勤務し[3]、家畜の診療に携わる。1960年代になると家畜の産業動物化が進んでおり、機械のように見なされる家畜の現状に疑問を感じ、野生動物の診療に関わるようになる[1]。診療所で働きながらキタキツネなどの野生動物の観察と撮影を始め、自宅では負傷した哺乳類や鳥類の野生動物の保護及び治療、リハビリを行い、治癒した動物の野生復帰に力を尽す[3]。キタキツネの生態研究は生涯を通じた活動である。53歳のときに「物書きとして生きてゆきたい」(竹田津実)という理由で診療所を退職する[4]

土壌菌を利用した畜産排水の浄化にとりくみ、北海道自然学研究会を組織した[5]
略歴

1937年 -
大分県竹田津町(現国東市)生まれ[4]

高校卒業後就職し、その後体調を崩し退職[1]

1963年 - 岐阜大学農学部獣医学科卒業[6][7]

1963年12月[2] - 北海道斜里郡小清水町農業共済組合家畜診療所」の獣医師となる[3]

1966年 - キタキツネ生態調査を開始[6]

1970年 - 小清水町農業共済組合家畜診療所の所長となる[7]

1972年 - 負傷した野生動物の保護及び治療、リハビリなどの活動を開始[6]

1974年 - 高橋健とともにドキュメンタリー映画「キタキツネ物語」の企画を開始[8]。初の著書『キタキツネ北辺の原野を駆ける』(平凡社)刊行。

1977年 - 動物愛護に関する書籍についてレディ・ガスコイン賞受賞[7]

1978年 - 「企画・動物監督」を担当した、ドキュメンタリー映画「キタキツネ物語」が上映。

1979年 - ナショナルトラスト「オホーツクの村」建設運動に参加[9]

1983年 - テレビ番組「オジロワシ」監督[9]

1985年 時点 - 小清水町農業共済組合家畜診療所所長を務める[3]

1986年 - イギリス・ブリストル Wild Screen’86において、監督作品「Leads of Hokkaido」で審査員特別賞を受賞[9]

1988年 - 写真活動に関して東川賞(特別賞)受賞[7]。合併により、斜網地区農業共済組合家畜部次長となる[9]

1991年 - 執筆活動に専心するために[4]診療所を退職[6]

1992年 - 小清水町文化賞を受賞[9]

1997年 - エッセイ『森の王国―自然がぼくにくれたもの』で北の児童文化賞を受賞[9]

1998年 - エッセイ『家族になったスズメのチュン』で産経児童出版文化賞受賞[9]

2004年 - 北海道上川郡東川町に転居[4]

2007年 - 著書『オホーツクの十二か月―森の獣医のナチュラリスト日記』で第54回産経児童出版文化賞JR賞、第2回福田清人賞(児童文芸ノンフィクション賞)受賞。


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