竹田恆和
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竹田 恆和1964年撮影
個人情報
フルネームTsunekazu Takeda
国籍 日本
生誕 (1947-11-01) 1947年11月1日(76歳)
日本 東京

スポーツ
競技馬術競技

竹田 恆和(たけだ つねかず、1947年昭和22年〉11月1日 - )は、日本実業家。元日本オリンピック委員会(JOC)会長(10期)、元国際オリンピック委員会(IOC)委員、元2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会副会長理事[1]、元アジアオリンピック評議会副会長。国際馬術連盟名誉副会長(終身)、日本馬術連盟副会長。1972年ミュンヘンオリンピック1976年モントリオールオリンピック馬術日本代表選手。旅行会社せとうちLTKトラベル(旧・LTKライゼビューロージャパン、都知事登録第2-7127号)代表取締役会長パーク24株式会社社外取締役(2016年1月就任、2022年10月辞任)。東京都出身。
人物・来歴
出自2016年東京五輪招致活動当時の竹田恒和(右から2人目が竹田、2009年8月8日)

旧皇族竹田宮恒徳王の3男。母は恒徳王妃光子。第125代天皇明仁はとこにあたる。父の恒徳王は恆和の誕生直前の1947年(昭和22年)10月14日皇籍離脱を行ったため、戦前生まれの他の4人の兄姉と違い、恆和が皇族であった時期はない。

慶應義塾幼稚舎より慶應義塾に学び、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業する。

父は日本スケート連盟と日本馬術連盟の会長もしていたので、父に連れられてよく両方の大会の観戦に行っていた[2]。スポーツは何でも好きで、小さい頃からいろいろなスポーツに親しんでいた[2]
馬術の経験

父は騎兵将校の職業的軍人で馬に乗ってはいたが、恆和は実際に父の乗馬姿を見たことはなかった[2]。父から「馬をやれ」と言われたこともなかった[2]。馬を始めたのは小学校5年生のときである[2]。たまたま同級生が乗馬クラブに通っていて「僕も連れていってくれよ」と頼んだのが馬術を始めるきっかけだった[2]

中学生になったとき馬術部に入った[2]。3年生のときはラグビー部の選手が足りず、各部から足の速い選手が集められ、1年間ラグビー部のレギュラーもやっていた[2]。高校でもラグビー部に引っ張られたが、恆和は「馬術で行く」と決めていた[2]
オリンピックに出場

1972年(昭和47年)、ミュンヘンオリンピック日本代表として馬術の障害飛越競技に出場、乗馬はジョセフィンで、個人42位、団体16位であった。

1976年(昭和51年)、モントリオールオリンピック出場、乗馬はフィンク、個人39位、団体13位の記録を残した。
選手引退から後進の育成へ

選手を辞めたあと、「世話になった慶応大学の馬術部に恩返しがしたい」と考え、コーチ、監督を12年間務め、学生とともに過ごした[2]

その後のオリンピックでは、ロサンゼルスオリンピック日本選手団コーチ、バルセロナオリンピック日本選手団監督、シドニーオリンピック日本選手団本部役員(広報担当)、ソウルオリンピック日本選手団コーチとして携わった。
オリンピック委員会

1991年(平成3年)、日本オリンピック委員会(JOC)理事に就任[2]1992年(平成4年)、国際馬術連盟(FEI)理事に選出[2]1998年(平成10年)、FEI副会長に選出[2]

2001年(平成13年)、この年の9月9日に急逝した八木祐四郎の後継として日本オリンピック委員会(JOC)会長に就任した。JOC元会長で名誉会長の堤義明の推しで竹田がJOC会長に決まったが、竹田は、それまで同会長が無報酬の名誉職であったことを覆し報酬をもらうことを就任の条件にした。そして1500万円の有給職にするために駆けずり回ったのが、慶應で竹田の次兄竹田恒治と同級生で3年先輩にあたる当時電通常務執行役員の高橋治之であった[3][4]

2002年ソルトレークシティオリンピックでは、日本選手団団長を務めた。2003年(平成15年)、2005年(平成17年)、2007年(平成19年)、2009年(平成21年)、2011年(平成23年)3月、2011年(平成23年)6月、2013年(平成25年)6月、2015年(平成25年)6月、2017年(平成27年)7月にJOC会長に再任され10期目[5]となり、また日本オリンピアンズ協会の名誉会長も務めている。

2012年(平成24年)3月、国際オリンピック委員会(IOC)の理事会において同委員への推薦が決まり、7月26日のIOC総会にて正式に委員に任命された[6]
東京五輪招致と贈賄疑惑

2007年2月、東京2016オリンピック・パラリンピック招致委員会副会長に就任。石原慎太郎都知事4選目決定後の2011年9月、東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会理事長に就任した。

2013年、竹田恆和は東京2020五輪招致委理事長として、国際オリンピック委員会(IOC)を巡り後述のように汚職容疑で国際問題化する、電通高橋治之らを中心とするロビー活動の渦中にあった[7][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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