竹本 綾之助(たけもと あやのすけ)は、女義太夫の太夫の名跡。当代は4代目。特に初代が著名。 (明治8年(1875年6月10日) - 昭和17年(1942年1月31日))本名は石山薗。 大阪の生まれ。母は義太夫の三味線方
目次
1 初代
2 2代目
3 3代目
4 4代目
5 参考文献
6 関連項目
初代
1898年に結婚をし寄席を退くが、日露戦争後に浪花節や琵琶の流行で娘義太夫の人気が落ちると1908年に復帰を求められ、大入りぶりに「芸壇の奇跡」と言われる。1912年には『国民新聞』に伝記が連載されたが、かつてほどの人気、勢いもなく、1925年に完全に引退した。
松井今朝子著『星と輝き花と咲き』(2010年、講談社)は、初代竹本綾之助を主人公とした小説。 ()本名は矢島照代。10月5日の生まれ、出身は東京、市川少女歌舞伎
2代目に入門。15歳で竹本金菊を名乗り大阪の寄席に出る。1898年に初代竹本綾之助が引退したので2代目綾之助を襲名したが、24歳で結婚をしたので名跡・綾之助を返上した。48歳復帰するも初代綾之助が活動していたので竹本佳照を名乗る。初代没の1942年に再度2代目綾之助を襲名し、1950年に女流義太夫連盟を設立。
3代目の常務理事。
4代目
参考文献
倉田喜弘『明治大正の民衆娯楽』岩波書店 1980年
関連項目
立花家橘之助
豊竹呂昇
竹本素女(2代目綾之助と同世代の女義太夫、女流義太夫連盟の設立に参加。)
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更新日時:2017年10月18日(水)12:18
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