竹富島
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.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}世界 > アジア > 東アジア > 日本 > 南西諸島 > 八重山列島 > 竹富島

竹富島
なごみの塔から見た赤瓦屋根の集落
所在地 日本 沖縄県八重山郡竹富町
所在海域東シナ海
所属諸島八重山列島
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯24度19分47秒 東経124度05分12秒 / 北緯24.32972度 東経124.08667度 / 24.32972; 124.08667 (竹富島)座標: 北緯24度19分47秒 東経124度05分12秒 / 北緯24.32972度 東経124.08667度 / 24.32972; 124.08667 (竹富島)
面積5.43[1] km²
海岸線長9.2[2] km
最高標高33.1[3] m
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}竹富島 (沖縄県)沖縄県の地図を表示竹富島 (日本)日本の地図を表示
OpenStreetMap
プロジェクト 地形
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竹富島の空中写真。
2009年11月9日撮影の10枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成沖縄本島と八重山列島の位置図

竹富島(たけとみじま)は、沖縄県八重山列島にあるである。全島が沖縄県八重山郡竹富町に属している。
地理

八重山列島の中心地である石垣島の南約6 kmに位置し、石垣港からは高速船で約10分の距離にある。
名称

最初に竹富島に渡来して新里村を開いたと伝わる伝承上の人物で、六山のひとつである花城御嶽に祀られているタキンドゥン(タガニドゥン、他金殿)が島名の由来[4]1708年の『指南広義』[注 1][5]1721年の『中山伝信録[注 2][6]には竹富島が「達奇度奴」として記されている。一方、1697年から作成された『元禄国絵図』[7]には「たけとみ嶋」、1719年新井白石が著した『南島志』[8]には「堂計止美島」(タケトミ)と記されており、この頃から「たけとみ」という呼称が存在していたことが分かる。現代の竹富島方言(テードゥンムニ)[9]では「テードゥン」、石垣方言では「タキドゥン」という[10]

漢字では、古くは「竹富」と表記されていたが、1729年に琉球王府が「竹」の字の使用を禁じたため「武富」と表記するようになった[4][注 3]。以降、「武富」と表記されていたが、明治20年代頃から再び「竹富」と表記されるようになった[4]
自然西海岸は西表石垣国立公園の第2種特別地域に指定されており、コンドイ浜には園地(コンドイ園地)が設けられている。

サンゴ礁の隆起によって生じた琉球石灰岩からなる低島であり、平坦地が多い[13]。南北にやや長い楕円形をなしており、周囲は約9 km。

全島が西表石垣国立公園に指定されている。特に海水浴等の利用者が多いコンドイ浜海水浴場)や星砂で有名なカイジ浜(皆治浜)がある西海岸は、第2種特別地域に指定されている。また、日本最大のサンゴ礁である石西礁湖内に位置しており、多様なサンゴ群落が発達しダイビング利用者も多い島北西部のタキドゥングチ[注 4]、島南西部のシモビシ、南部の竹富島南沖礁の各海域は、海域公園地区に指定されている[14]

島の北東部約1 km・水深約20 mの地点には海底温泉が確認されており、観光資源として活用することが検討されている[15][16](北緯24度20分22.94秒 東経124度5分59.45秒 / 北緯24.3397056度 東経124.0998472度 / 24.3397056; 124.0998472 (竹富島海底温泉))。ただし、環境への影響や施設の運営、維持管理費の確保などが課題となっており、海底温泉の場所はダイビングポイントでもあるため温泉の活用には慎重な意見もある[15]

なお、竹富島南西方海上にはサンゴ礁海域を通航する狭水路として竹富南航路(水深 4.0m、幅 60m、航路全長 2,480m)が設定されており、1974年(昭和49年)に港湾法上の開発保全航路に指定された[17]
集落西集落のスンマシャー竹富島の伝統的古民家内部。座敷の場所によって「一番座」「二番座」「三番座」と順位をつけ、客は上位の席へ案内する習慣がある。

東集落(アイノタ)、西集落(インノタ)、仲筋集落(ナージ、南集落とも)の3つの集落が島の中央部から北西部にかけて位置している[18]

集落景観は、木造赤瓦民家と白が撒かれた道を基調としている。町並みは、1987年(昭和62年)に重要伝統的建造物群保存地区として選定されている[19]。島のほぼ中心部にある赤山公園内のなごみの塔(2016年から立入禁止)からは、赤瓦屋根の集落が見渡せた。なお、竹富島で最初に赤瓦屋根の家屋が建てられたのは1905年(明治38年)であるが、大正に入ってから富裕層にも普及したものの、1964年(昭和39年)においても主屋の約4割は茅葺のままであり、赤瓦の家屋の建築が盛んになったのは1970年代以降である[20]

各集落の入り口には、ガジュマルの大木の周囲に石垣を積んだ「スンマシャー」と呼ばれる広場が設けられている[21]風水思想に基づくもので、外からやってくる魔物や病害を避けるため[22]、スンマシャーによって道を曲げたりY字路にしたりしている[23]。また、生活の場とその外側の境界としての役割もある[22]
人口

竹富公民館の2019年春季島勢調査によると、人口364人(2018年秋から28人増)、戸数177戸(同10戸増)[24]。住民登録に基づく人口は342人(2021年3月末現在[25])、世帯数180戸(2021年3月末現在[25])。


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