竹取物語
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「竹取物語」のその他の用法については「竹取物語 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
かぐや姫を籠に入れて育てる翁夫妻。17世紀末(江戸時代)メトロポリタン美術館蔵。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ポータル 文学

『竹取物語』(たけとりものがたり、英語: The Tale of the Bamboo Cutter)は、平安時代前期に成立した日本物語。「現存する日本最古の物語」[1][2][3]とされて、現在では"かぐや姫"の話として一般的に知られている。現在まで作者、正確な成立年は不明。
概要主人公・かぐや姫と竹取の翁 (満谷国四郎筆、笠間日動美術館蔵)

竹取の翁(たけとりのおきな)によって光り輝くの中から見出され、翁夫婦に育てられた少女かぐや姫を巡る奇譚。

源氏物語』に「物語の出で来はじめの祖(おや)なる竹取の翁」[4]とあるように、日本最古の物語といわれる。9世紀後半から10世紀前半頃に成立したとされ、かなによって書かれた最初期の物語の一つである。現代では『かぐや姫』というタイトルで、絵本アニメ映画など様々な形において受容されている。
題名

『竹取物語』は通称であり、平安時代から室町時代には次のように呼ばれていた[5]

平安時代

『竹取の翁』 (『源氏物語』・絵合巻)

『かぐや姫の物語』 (同・蓬生巻)


鎌倉時代

『竹取』 (『無名草子』)

『たけとり』 (『風葉和歌集』)


室町時代

『竹取翁』 (『河海抄』)

古写本の外題では『竹取物語』の他にも、『竹とり』(久曾神甲本・流布本第1類)、『竹物語』(高松宮本・同第3類)、『竹取翁物語』(古活字十行甲本・同第3類 など)と呼ばれている[6]
成立伝・後光厳天皇筆古筆切の1つ。「火鼠の皮衣」の一節が記されている。京都府毘沙門堂旧蔵(現在所在不明)

成立年は明らかになっていない。原本は現存せず、写本後光厳天皇の筆とされる室町時代初期(南北朝時代14世紀)の古筆切数葉が最古といわれ、完本では室町時代末期の元亀元年(1570年)の奥付を有する「里村紹巴本」、無奥書だが永禄 - 天正頃とされる[注釈 1][7]吉田本」が発見されているものの、いずれも室町時代を遡るものではない。

しかし、10世紀の『大和物語』、『うつほ物語』や11世紀の『栄花物語』、『狭衣物語』、また、『源氏物語』に「絵は巨勢相覧、手は紀貫之書けり」と言及されていることから、遅くとも10世紀半ばまでに成立したと考えられている。

またこの物語に関連あるものとしては、『丹後国風土記』、『万葉集[8]、『今昔物語集[9]などの文献、謡曲羽衣』、昔話『天人女房』、『絵姿女房』、『竹伐爺』、『鳥呑爺』などが挙げられる。当時の竹取説話群を元に、とある人物が創作したものと考えられる。
作者

作者についても不明。

作者像として、当時の推定識字率から庶民は考えづらく、上流階級に属しており、貴族の情報が入手できる平安京近隣に居住し、物語に反体制的要素が認められることから、当時権力を握っていた藤原氏の係累ではないと考えられている。

さらに、漢学漢語漢文訓読体の使用)・仏教民間伝承に精通し、仮名文字を操ることができ、和歌の才能もある知識人で[10]、貴重であった紙の入手も可能な人物で、性別は男性だったのではないかと推定されている。また、和歌の技法(掛詞縁語の多用、人名の使用)は六歌仙時代の傾向に近いことが指摘されている[11]

以上をふまえ、源順源融遍昭紀貫之紀長谷雄菅原道真[注釈 2]など数多くの説が提唱されている。
諸本

竹取物語の本文系統が本格的に研究の対象となったのは昭和に入ってからである。1930年(昭和5年)、初めて徳本正俊によって3系統に分類された[12]。1939年(昭和14年)に新井信之によって「古本系」「流布本系」の分類が示され[13]、そして昭和40年(1965年)に中田剛直がそれまでの研究を受けた上で示した、流布本を3類7種とする分類が現在最も一般的なものとなっている。古本系については、中田は2類2種、南波浩は後光厳院本を加えて3類4種に分類している[注釈 3][14]。以下に、中田・南波による分類を元にした主要伝本一覧を示す(カッコ内の伝本は分類発表時に未発表だったもの)。
流布本系

通行本系とも呼ばれる。現在最も広く流布している本文。

第1類

第1種 武藤本[注釈 4]平瀬氏旧蔵本[注釈 5]高山図書館[注釈 6]蔵(田中大秀旧蔵)本

第2種 加賀豊三郎蔵本・武田祐吉旧蔵本[注釈 7]久曾神昇蔵甲本
このうち、久曾神蔵甲本は極めて特異な本文を有した写本である[注釈 8]

第3種 前田善子旧蔵本・山岸徳平蔵本


第2類

島原候旧蔵本・北島家旧蔵本・度会正董書入本・荒木田久老書入本・(チェスター・ビーティ図書館蔵J1125絵巻本)[注釈 9][15]


第3類

第1種 蓬左文庫蔵本・吉田幸一蔵本・久曾神昇蔵乙本・静嘉堂文庫蔵丹羽嘉言筆本


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