竹原信一
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日本政治家竹原 信一たけはら しんいち
生年月日 (1959-03-07) 1959年3月7日(65歳)
出生地 日本 鹿児島県阿久根市
出身校防衛大学校
前職航空自衛官(二等空尉)
会社役員
阿久根市長
現職阿久根市議会議員
所属政党無所属
親族竹原恵美(実妹、元阿久根市議会議員)
公式サイト ⇒住民至上主義
第16-17代 阿久根市長
当選回数2回
在任期間2008年9月 - 2010年12月5日
阿久根市議会議員
当選回数4回
在任期間2005年12月 - 2008年8月24日
2015年5月 - 2018年12月16日
2019年5月 - 2022年12月
2023年5月 -
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竹原 信一(たけはら しんいち、1959年昭和34年〉3月7日[1] - )は、日本政治家、退職航空自衛官鹿児島県阿久根市議会議員(4期)。前阿久根市長(2期)。最終階級は二等空尉
経歴

1977年鹿児島県立出水高等学校を卒業。総理府防衛庁入庁(防衛大学校入校)、1983年卒業(第27期。同期に佐藤正久)。航空自衛隊に幹部候補生として任官するも、1988年二等空尉で退官。帰郷して父親の経営する建設会社である株式会社三笠興産[注 1]に就職する。一時期は同社の代表取締役を務めた。

2005年、阿久根市議会議員選挙に出馬し、初当選[1]
阿久根市長時代

2008年8月31日、阿久根市議会議員を辞職して、阿久根市長選挙に立候補し、初当選。

2009年2月6日、阿久根市議会が市長不信任決議案を全会一致で可決し、同月10日、竹原は市議会を解散した。2009年4月17日、出直し市議会議員選挙後初めての市議会臨時会において、再び市長不信任決議案が提出され、賛成11、反対5の賛成多数で可決し、失職した。これに伴い、同年5月31日に投開票が行われた出直し市長選挙に出馬し、再選を果たす[2]

2010年には、阿久根市で養鶏業を営む西平良将ら、「反竹原」を掲げる市民グループにより市長解職請求が行われ、2010年12月5日に投開票が行われた解職の是非を問う住民投票において、解職賛成票が過半数を占めたため、市長を再度失職[3]。復職を狙い、2011年1月16日執行の出直し市長選挙に立候補したが、約850票差で西平良将に敗北した。

ブログでの発言が反響を呼んだことから、ブログ市長とも呼ばれた。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキニュースに関連記事があります。

阿久根出直し市長選挙、西平氏当選

市長失職後

2011年3月7日自由報道協会の記者会見において、鹿児島県議会議員選挙への出馬を表明。2011年4月10日の鹿児島県議会議員選挙に阿久根市・出水郡区(定数1)から立候補したが、自民党公認現職県議の中村真に敗れ、落選した。

2011年4月24日の出直し市議選(後述)では実妹竹原恵美ら自身を支持する候補を擁立し、市議会の過半数を制することを目指したが及ばず、反竹原派が過半数を確保した。2014年12月21日投開票の阿久根市長選に返り咲きを目指して出馬し、選挙公報とポスター掲示のみで選挙運動をしない[4] という異例の選挙戦術をとったが、自民党の支持を受けた現職の西平に3000票以上の大差を付けられ落選した。

2013年9月23日、NHKから国民を守る党[5] の最高顧問に就任するも、46日後に辞任。

再び市議会へ

2015年4月、再び阿久根市議会議員選挙に立候補。市役所・議会改革などを訴え、2371票という高得票で第1位当選[6]、復権を果たした。しかし、竹原本人に票が集中したことが影響し、竹原派現職市議5名は得票を大幅に減らし、うち3名が落選。竹原派新人も落選した。また、前回竹原が擁立した実妹竹原恵美は、選挙に際して突如兄に反旗を翻し、兄の政治手法を批判、竹原支持層を分断して票を確保しようという兄妹相争う異例の戦法に打って出たが、突然の態度変更は有権者の理解を得られず、兄陣営からも反論されるなど苦戦。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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