この項目では、中国文学者について記述しています。バレーボール選手の同名の人物については「竹内実 (バレーボール)」をご覧ください。
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生誕 (1923-06-12) 1923年6月12日
中国山東省
死没2013年7月30日(2013-07-30)(90歳)
日本
出身校東京大学
学問
研究分野中国文学・中国学
研究機関京都大学人文科学研究所・立命館大学
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竹内 実(たけうち みのる、1923年〈大正12年〉6月12日[1] - 2013年〈平成25年〉7月30日)は、日本の中国文学、現代中国社会研究者。京都大学名誉教授、立命館大学国際関係学部元教授。日本における中国研究の第一人者である[1]。 1923年、中国山東省(現在の?博市(しはく)張店区)に生まれた[2]。日本へ帰国後、二松學舍専門学校(現二松學舍大学)在学中に学徒出陣を経験するが、敗戦直前に病気除隊した。 第二次世界大戦後、1949年に京都大学文学部中国語学文学科を卒業し[2]、東京大学大学院修士課程修了と同時に社団法人中国研究所へ入所した[2]。その後、旧東京都立大学助教授となった[2]。1973年京都大学人文科学研究所[2]教授、1987年に定年退官[2]、名誉教授となる。その後も立命館大学国際関係学部教授[2]、北京日本学研究センター
経歴
1987年(昭和62年)から1994年(平成6年)まで現代中国研究会会長を務めた。2013年7月30日、京都市内の病院で逝去[4]。90歳没。 世界に先駆けて毛沢東の原典集『毛沢東集』を編纂し、中国を含む各国の研究者に研究の基礎を提供した[1]。1960年(昭和35年)には野間宏、大江健三郎らと共に中華人民共和国を訪問し、毛沢東と会見している[2][5]。武田泰淳とともに『毛沢東 その詩と人生』を刊行し、毛沢東の人間像を論じて話題となった[2]。文化大革命中は、文革や当時の中国共産党に批判的な姿勢を貫き、文革終結後にその姿勢が高く評価された。 1978年、ケ小平副首相が来日した際、ロッキード事件の渦中にいた田中角栄の私邸を訪問したことについて、朝日新聞の取材に応じ「個人の信義を重んじるのは中国の美しい伝統ではあるが、日本の大衆の気持ちも理解してもらわないと。」とコメントしている[6]。
業績・活動
発言
受賞・栄典
1992年:福岡アジア文化賞 学術研究賞を受賞[1]
1999年:勲三等旭日中綬章受章[7]。
著書
単著
『日本人にとっての中国像』春秋社 1966 のち岩波同時代ライブラリー
『中国 同時代の知識人』合同出版 1967
『中国の思想 伝統と現代』日本放送出版協会 NHKブックス 1967
『毛沢東ノート』新泉社 1971
『現代中国の文学 展開と論理』研究社出版 1972
『毛沢東と中国共産党』中公新書 1972