本名が「竹内博」のゲーム会社社長・ミュージシャンの「bamboo (歌手)」、「竹内宏」、あるいは「竹内浩志」とは別人です。
竹内 博(たけうち ひろし、(1955年8月15日[1] - 2011年6月27日[2])は、日本の特撮映画研究家[1][2]、香山滋研究者[1]。
日本推理作家協会会員[1]。日本SF作家クラブ会員[3]。酒井敏夫の名でも特撮関連書籍を著した。
竹内が主催した特撮研究グループ「怪獣倶楽部」についても本稿で述べる。 東京都江東区生まれ。後に神奈川県横須賀市に移ったため、横須賀を出身地とする。 少年時代から香山滋の怪獣小説と特撮映画に魅され、中学卒業後の1971年に円谷プロダクションに入社(営業・企画・制作)[4][2]。勘当同然の身であったため、当時社長の円谷一の自宅に居候した[4]。1987年に円谷プロを退社[2]。この間、大伴昌司に師事する。1973年の大伴の急逝後はその遺志を継ぎ、怪獣・怪人大百科や特撮研究書などを多数執筆した[4]。 2011年6月27日、多臓器不全のため、東京都八王子市の病院で死去[要出典][注釈 1]。55歳没[2]。 代表作は『ウルトラ怪獣大事典』『OHの肖像』『写真集特技監督円谷英二』『東宝特撮怪獣映画大鑑』など。編集に『香山滋全集』などがある。 香山に魅されたきっかけは彼の短編『妖蝶記』を読んだことにあり、怪獣ブーム当時に「『ゴジラ』の作者だから」と軽く読み始めて大ファンになった[1]。小学校5年の時にはサインを貰おうと香山宅を訪ねて初対面を果たし、17歳の頃には出入りを許されるようになる[1]。やがて、竹内が著書を収集していることを知った香山は、他人と会うことを避けていた当時の1973年に、『オラン・ペンデク奇談』や『怪獣ゴジラ』を竹内に贈呈している[1]。収集した香山の掲載誌の総数は880冊ほどに上り、『妖蝶記』の生原稿も竹内の手に渡っている[1]。 香山の死後、竹内は5年を費やして『香山滋全集』を書き上げた[1]。 1975年、円谷プロを取材に来たアマチュア時代の中島紳介らと知り合ったことがきっかけで、竹内の主催で「怪獣倶楽部」を結成。メンバーには中島紳介、安井ひさし、原口智生、徳木吉春 2017年には、「怪獣倶楽部」をモデルとしたテレビドラマ『怪獣倶楽部?空想特撮青春記?』(全4話)が放送された。竹内に相当する人物は塚地武雅が演じている。
略歴
香山滋研究者として
怪獣倶楽部
著書
竹内名義
単著
元祖怪獣少年の日本特撮映画研究四十年 竹内博 著 実業之日本社 2001