竹下派七奉行
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出典検索?: "竹下派七奉行" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2012年4月)

竹下派七奉行(たけしたはしちぶぎょう)とは、1980年代後半に竹下登金丸信自民党内に結成した経世会(竹下派)において、竹下、金丸の後継者と目された7人の有力政治家を指した言葉。彼らの歴史は、基本的に竹下系と金丸系の対立を軸に推移する。小渕・橋本・奥田の3人については、このうちいずれか1人を入れないでいうことも多くもあり、その場合は六奉行と呼ばれた。

鳩山由紀夫も竹下派であるが八奉行とは呼ばない。ただし、小沢とともに「小鳩」と呼ばれることがある。
竹下派七奉行一覧
竹下系

小渕恵三

通称「ぶっさん」「おぶっちゃん」「凡人」「鈍牛」「冷めたピザ」「昼行燈」「人柄の小渕」「ビルの谷間のラーメン屋」「平成おじさん」「真空総理」「ブッチホン」「ボキャ貧」「恵ちゃん」

政務ポスト:内閣総理大臣外務大臣内閣官房長官総理府総務長官沖縄開発庁長官総理府総務副長官建設政務次官郵政政務次官

党(派閥)ポスト:自民党総裁自民党副総裁自民党幹事長、平成研究会会長、平成政治研究会会長、経世会会長、経世会副会長



梶山静六

通称「ろくちゃん」「軍人」「武闘派」「大乱世の梶山」「梶さん」

政務ポスト:通商産業大臣法務大臣自治大臣国家公安委員会委員長、内閣官房長官、内閣官房副長官、通商産業政務次官、建設政務次官

党(派閥)ポスト:自民党幹事長、自民党国対委員長



橋本龍太郎

通称:「ハッシー」「龍ちゃん」「龍様」「橋龍」「政界の玉三郎」「怒る、威張る、すねる」「政策通」「無事の橋本」「タフ・ネゴシエーター」「ポマード」「足下総理」「アンパン総理」「課長補佐」

政務ポスト:内閣総理大臣、副総理大蔵大臣、通商産業大臣、厚生大臣運輸大臣沖縄開発庁長官行政改革担当大臣規制改革担当大臣沖縄及び北方対策担当大臣、厚生政務次官

党(派閥)ポスト:自民党総裁、自民党幹事長、自民党政調会長、平成研究会会長


金丸系

羽田孜

通称:「孜ちゃん」「ミスター政治改革」「改革病患者」「省エネルック」「ガンコ者」「平時の羽田」「政務の羽田(角栄評)」「バカボンのパパ

政務ポスト:内閣総理大臣、副総理、農林水産大臣、大蔵大臣、外務大臣

党(派閥)ポスト:新生党党首、太陽党党首、民政党代表、新進党副党首、民主党幹事長、民主党特別代表、民主党最高顧問、改革フォーラム21代表



渡部恒三

通称:「ナベさん」「黄門様」「会津のケネディ」「おしゃべり恒三」

政務ポスト:衆議院副議長、厚生大臣、国家公安委員会委員長、通商産業大臣、自治大臣

党(派閥)ポスト:自民党国対委員長、民主党国対委員長、民主党最高顧問、新進党国会運営委員長、新進党政務会長、新進党総務会長



奥田敬和

通称:「ケンカ屋」

政務ポスト:衆院議院運営委員長、郵政大臣、国家公安委員会委員長、自治大臣、運輸大臣

党(派閥)ポスト:自民党国対委員長、民主党最高顧問、民政党最高顧問、太陽党最高顧問



小沢一郎

通称:「いっちゃん」「豪腕(剛腕)」「壊し屋」「乱世の小沢」「党務の小沢(角栄評)」「平成の三木武吉」「オザーさん」

政務ポスト:衆院議院運営委員長、自治大臣、国家公安委員会委員長、内閣官房副長官

党(派閥)ポスト:自民党幹事長、経世会会長代行、新生党代表幹事、新進党幹事長、新進党党首、自由党党首、民主党代表代行、民主党副代表、民主党代表、民主党幹事長、国民の生活が第一代表、生活の党代表、生活の党と山本太郎となかまたち共同代表、自由党共同代表


沿革
七奉行の台頭

中曽根康弘は5年間内閣総理大臣を務め、竹下の自民党総裁就任にあたって影響力を行使したものの、リクルート事件で党籍離脱に追い込まれたため、経世会への求心力がますます高まった。その頃から七奉行は次々と要職に起用されてゆき、権力の中枢を歩むことになる。宇野政権では大逆風となった1989年参院選に敗れた橋本幹事長が「チクショー」と悔しがるシーンがTVで放映され話題となったが、この参院選では不人気の宇野首相に代わり、人気弁士として全国を応援に回った橋本が評価を高めることになった。

こうして最初に総裁候補とされたのが1989年のポスト宇野総裁選びでの橋本だった。しかし、この時小沢が橋本の女性スキャンダルを探し出した。これが「一龍戦争」の発端である。結局、金丸が担いだ海部政権では、橋本と入れ替わるように小沢が幹事長に就任。海部政権の長期化と共に小沢の権力伸張は著しくなる。金丸の威光を背景に政策を牛耳り、竹下派竹下系を政策中枢から外したため、橋本・梶山らが不満を募らせる。

1991年5月の東京都知事選挙では、小沢は都連と対立した上に敗北。この責任を取り小沢が幹事長辞任、後任幹事長に派副会長だった小渕が就任。しかし、小沢は同じく派副会長から会長代行に昇格、派での影響力を増すことになった。この異動には将来小沢を会長に据えたい金丸の意向があった。これに対し竹下は総裁再登板こそ望まなかったものの、金丸と小沢の強引さについて危惧しており、小沢を会長に据えることには反対だった。

1991年9月、小選挙区法案を巡り、解散反対派の金丸系と、解散賛成派の竹下系が完全に対立する。海部は選挙制度改革派の若手に押され「重大な決意で臨む」と記者会見などで発言し解散して信を問う決意を固め、小渕幹事長も解散準備を行うものの、解散決定の閣議15分前に小沢会長代行が海部に「経世会は解散を支持せず」と伝える。進退窮まった海部は内閣総辞職に追い込まれた(海部おろし)。この時は金丸系と竹下系の役回りが逆だったと思われていることが多い。

10月10日、自由民主党総裁選挙において海部の後継総裁を争った宮沢喜一・渡辺美智雄・三塚博との面接を行ったのが小沢と渡部であり、小沢の個人事務所で実施されたことから「小沢面接」と呼ばれた。当選回数や年齢などで上の人間を自分の事務所に呼びつけた小沢面接には党内外から批判の声が上がった。小沢は祝日ホテルを確保するのは面倒だったと回想している。金丸は最終的に鶴の一声で渡辺支持から宮沢支持に切り替えた。
竹下派の後継会長抗争

竹下派会長だった金丸信1992年に発覚した東京佐川急便事件で会長職を辞任したのをきっかけに、後継会長を巡る派内抗争に発展した。


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