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競馬ブック
種類日刊紙(原則中央競馬開催日前日)
事業者(有限会社十美社→)
(株式会社松井総業→)
株式会社ケイバブック
本社【栗東本社】
(京都府久世郡淀町[注 1]→)
(京都府京都市伏見区→)
(大阪府大阪市淀川区木川東4-13-8→)
滋賀県栗東市手原2-6-6
【東京支社】
(東京都千代田区外神田6-14-7→)
東京都江東区毛利2-9-10
代表者松井淳二(代表取締役社長)[1]
創刊1946年(昭和21年)10月10日[2]
言語日本語
価格1部 【紙版】500円
(東西全国版、従場版の2種類あり)
【自社ネット新聞】
各場別当日全レース掲載版500円
東西別前後半6レースセット各360円
レース単位で選択の場合1競走60円(電子マネー(WebMoney・BitCashが利用可能)による電子決済))
【コンビニプリント版】
各場別当日全レース掲載版500円
東西主場前後半各6レースセット500円
ウェブサイトhttps://p.keibabook.co.jp/
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競馬ブック(南関東版)
種類日刊紙(原則南関東公営競馬開催日前日)
サイズA判
事業者株式会社ケイバブック東京支社
本社東京都江東区毛利2-9-10
代表者松井淳二[1]
創刊2008年(平成20年)4月7日
言語日本語
価格1部 (紙版)500円
(自社ネット新聞)
当日全レース掲載版500円
レース単位で選択の場合1競走80円
ウェブサイトhttps://p.keibabook.co.jp/
特記事項:
他にも地方競馬予想誌として「ばんえい競馬版」「ホッカイドウ競馬版」「園田・姫路版」を発行。ホッカイドウ競馬の電子版はメインレースに限り無料
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株式会社ケイバブックは滋賀県栗東市手原にある競馬新聞、ならびに競馬関連図書を製作、販売する会社である。『競馬ブック』『研究ニュース』『勝馬』の3つの競馬新聞を発行し、馬事関連を扱う出版社として国内最大の規模を誇る。
なお本稿では、『競馬ブック(当日版)』『週刊競馬ブック』『競馬四季報』およびその系譜に関わる事象を取り上げる。出自の違う『研究ニュース』『勝馬』の系譜に連なる事象についてはそれぞれの項目を参照されたい。 株式会社ケイバブック
概要
keibabook Co.,Ltd.本社(2017年撮影)
種類株式会社
市場情報非上場
略称競馬ブック
本社所在地 日本
〒520-3047
滋賀県栗東市手原2丁目6番6号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度1分26.4秒 東経136度0分2.9秒 / 北緯35.024000度 東経136.000806度 / 35.024000; 136.000806
設立1962年(昭和37年)12月25日
業種情報・通信業
法人番号9160001013340
事業内容競馬専門紙・週刊誌・四季報等出版物の発行、コンピュータによる新聞製作システムに関するコンサルティング
代表者松井淳二[1](代表取締役社長)
外部リンクhttps://p.keibabook.co.jp/
特記事項:松井淳二は編集及び発行印刷責任者も兼務。
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1945年(昭和20年)9月、終戦とともに日本競馬会(現:日本中央競馬会)は競馬の再開に向けて動き出した。詳細は「日本競馬会#概要」および「競馬の歴史 (日本)#国営競馬の開始」を参照
関西での公認競馬は、戦前には京都競馬場と鳴尾競馬場の2カ所で行われていたが、このうち鳴尾は太平洋戦争中に軍の飛行場にされた上に空襲の被害を受け、戦後になっても占領軍に接収されたままで使えなくなり、移転予定だった逆瀬川(兵庫県良元村=現:宝塚市)でも占領軍の用地接収に遭って完成のメドが立たなくなった。このため競馬会は、まず京都1場だけでの競馬再開を目指すことにした。詳細は「阪神競馬場#逆瀬川競馬場」および「鳴尾飛行場#沿革」を参照
1946年(昭和21年)10月17日、京都競馬場で戦後初の馬券発売を伴う公認競馬が行われた。この情報を伝える新聞として、戦前からあった『競馬ニホン』『前夜通信の出馬表』『競馬ニュース』『競馬フアン』が復刊。一方で『中島競馬號』が創業者の疎開によって大阪での発行をやめる[注 2]ことになった。これと前後して当社創業者の松井淳[3](まつい・きよし)が京都府淀町に十美社の名前で印刷所を立ち上げた。そこへ日本競馬会職員の鎌田勝が近づき、松井に競馬専門紙への新規参入を持ちかける[4]。こうして、十美社を発行所とする関西発の新規参入紙として1946年10月10日に創刊したのが、『競馬ブック』である[注 1]。
当初は公認競馬が日曜しか行われなかったこともあり、競馬ブックは週刊[2]だった[注 3]。そこで十美社は1948年(昭和23年)、大阪住之江競輪場での競技開始をきっかけに競輪の専門紙も発行し、初期にはこちらが大きな収入源となった。その後、同社は法人化と前後して「株式会社松井総業」(初代)に社名を変更。競馬ブック(ケイバブック)はあくまでも同社が発行する定期刊行物の名称という形になった。
1971年(昭和46年)には東京の競馬研究社と提携して関東に本格進出。ほぼ同時期にケイシュウNEWS創業者である白井新平の子息白井透が現役馬の血統データを専門に扱う本を立ち上げようとしていたのを聞きつけ、新平や啓衆社などとともに支援し『競馬四季報』として具体化した。その後、競馬研究社が正式に傘下に入った時に「松井総業(2代)」となり、松井総業(初代)は「株式会社ケイバブック」に社名変更した。