競輪祭
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朝日新聞社杯競輪祭概要
格付けGI
愛称競輪祭
概定番組6日間トーナメント
主催者北九州市
開催地小倉競輪場
開催時期11月下旬
歴史
初回開催1951年
開催回数65回(2023年)
初代優勝者山本清治
最多優勝者中野浩一(5回)
直近優勝者眞杉匠(2023年)
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朝日新聞社杯競輪祭(あさひしんぶんしゃはいけいりんさい)は、小倉競輪場北九州メディアドーム)が競輪発祥の地であることを記念して行われる、競輪のGI競走である。競輪ファン・及びメディア(冠スポンサーである朝日新聞系列を除く)では「競輪祭」「小倉競輪祭」とも称される。
概要

本大会は、当年のKEIRINグランプリ出場権を賭けた、最後のGI競走である。また、GIII以上のグレードレースでは各競輪場の開設記念を除いて唯一、本大会のみ開催地が毎年固定されて行われている(他の競走は全て開催地持ち回り[注 1])。

小倉競輪場ではほぼ通年でナイター競走(愛称:スペースナイトレース)が実施されているが、場外発売においてはナイター競走の発売体制が全国的には不十分であることから、競輪祭においては他のGI同様に昼間開催で行われてきた。だが、2018年度の第60回大会よりGI初のナイター競走とし、併せて6日間制と予選におけるポイント制の復活、前半3日間ではガールズケイリン(同年のガールズグランプリ出場選手を最終決定するためのGI「競輪祭女子王座戦[注 2])も同時に行われている[1]

特別優秀競走は「ダイヤモンドレース」の名称で実施されている。
賞金

以下は、第65回(2023年)大会の決勝戦における各着順の賞金額[2]。( )内は副賞(1?3着に授与)を含んだ金額。

1着2着3着4着5着6着7着8着9着
4,500万円(4,590万円[3])2,280.8万円(2,320.8万円[3])1,490.7万円(1,514.7万円[3])1,088.1万円870.5万円713.5万円594.6万円555.4万円527.6万円

歴史

1951年11月21日から26日にかけて、競輪発祥3周年を記念して、小倉競輪場で第1回「競輪祭」が開催された[4] 。第1回の競輪祭を開催した当時は既に全国各地の競輪場でも同じく「競輪祭」のタイトルを用いた開催が行われていたが、小倉競輪場が競輪発祥の地である事を意識して、当時の通商産業省(通産省)が小倉以外の競輪場では「競輪祭」のタイトルを使わぬよう通達を出した[5]

競輪祭は「競輪発祥を記念するため、廉あるごとに小倉において実施する」という通産省通達の下に行われてきた経緯もあり、その後は第2回が同5周年の1953年に、第3回が同7周年の1955年に、第4回が同10周年の1958年に、第5回が同15周年の1963年に、その原則どおりに行われ、また第5回までの間は『全国競輪祭』の名称で行われた。だが、第6回(1964年)からは第1回小倉競輪の初日を中心にした日程で毎年開催されることとなり、併せて『競輪祭』の名称で毎年開催されるようになった[4]

かつては、デビュー3年未満の選手を対象とした「全日本新人王戦」と、「全日本競輪王戦」との別開催による2本立てトーナメントで行われ、第20回(1978年)までは、前半(前節)3日間が新人王戦、後半(後節)3日間が競輪王戦という日程を組んでいた。そのため、新人王戦の優勝者には競輪王戦への出場資格が与えられ、第5回(1963年)では高原永伍が新人王(当時は新鋭王戦)と競輪王とを連続優勝した例もあった。第21回(1979年)より、初日から4日目までは新人王戦と競輪王戦の番組を混在させる形を取ったことで、5日目・6日目は競輪王戦出場メンバーのみの戦いとなった。その後、KPK制度の導入により、1983年4月にS級が設けられて以降しばらくは新人王戦に出場できる選手はS級に限定されていたものの、後にS級特進条件が厳しくなったことから、A級選手も一部参加できる「S・Aトーナメント」化された。だが、現在の北九州メディアドームに移転した初年の第40回(1998年)で当時A級選手だった齋藤登志信が優勝したことで制度上の批判が上がったことや、翌年の第41回(1999年)より4日間開催に移行したことから[6]、新人王戦は事前に選抜されたメンバー9人による最終日における1レース限りの単発競走となった[4]

2001年度からの競輪の番組制度改革でグレード制の導入に伴い、1レース限りの新人王戦はヤンググランプリ(GII)に移行し競輪祭からは外されたことで、強力な若手の先行選手が新人王戦に出場するため競輪王戦において先行選手が少なくなるという状況は解消された。また、併せて競輪祭の開催時期が1月に変更(開催は2002年から)され、この開催時期の変更と同時に朝日新聞社から社杯が授与されるようになり、それに伴い第43回(2002年)より開催名称が競輪祭朝日新聞社杯争奪競輪王決定戦(GI)に変更された[4]

第46回(2005年1月)[7]から第54回2012年)までの開催では、選手とは別に、各競輪場で実況を担当するアナウンサーのファン投票も行われ、その上位4名が競輪祭の実況を1日ずつ担当するという試みがなされていた(ただし各日の前半レースは弥永正宏が担当する年もあった)[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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