競技カルタ
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競技かるた(きょうぎかるた)とは、小倉百人一首を用いて、一般社団法人全日本かるた協会が定めた規則に則って行う競技である。
概説近江神宮楼門

競技かるたは小学生から高齢者まで幅広く、性別を問わず行われている。一般的なイメージである文化活動や伝統文化という側面もあるが、一方でTシャツにジャージでも行われるスタイルや、競技に高度な瞬発力・記憶力・精神力が必要とされることなどから、競技かるたはカーリングダーツなどと同じくスポーツとして取り組まれている。対人競技であること、札を払うときの激しさ、試合が長時間にわたり一般の想像以上に気力、体力も求められることなどから「畳の上の格闘技」とも形容される。競技人口は、社団法人全日本かるた協会では ⇒100万人としているが、これは学校や子供会活動における正月の百人一首大会の参加者も含んだ数字としており、かるた会に所属し継続的に「競技かるた」活動を行っている者はこれよりもはるかに少ない(平成22年時点での協会のC級以上の正会員は2000人弱で、正会員となる必要がないD級以下の者・有段者であるが正会員登録していない者などを含めても精々1万人?2万人程度とされる)。

競技かるたにおける最高峰の大会は、毎年1月滋賀県大津市近江神宮において行われる男性部門の名人位戦と女性部門のクイーン位戦で、勝者はそれぞれ名人・クイーンと呼ばれ、試合の様子は毎年YouTubeで配信されている。また近江神宮では名人位戦・クイーン位戦のほかに全国高等学校小倉百人一首かるた選手権大会(かるた甲子園)などの大会も行われており、近江神宮は競技かるたにおける聖地となっている。

西日本の中学校や高校などでは運動会・体育祭の一部や代替行事、単独行事として「かるた大会」が行われていることが多い。

近年は日本語を母語としない海外の競技者も増加している。2012年9月には第一回の国際交流大会が開催され、日本のほかアメリカ中国韓国ニュージーランドタイから参加があった。[要出典]  2023年現在海外にもかるた会ができており、中国や台湾など近隣国だけでなく、アメリカ、シンガポール、タイ、ブラジルフランスにも存在する。
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この節の加筆が望まれています。

百人一首を用いた競技は明治時代以前から行われていたが、そのルールは地方やかるた会によってまちまちであった。明治38年1月4日、5日に渡って「国民新聞」から「かるた会変遷」と題して掲載された記事によると、競技かるたの黎明期にあたる明治25,6年頃東京で、本郷の帝国大学(現在の東京大学)の学生によって設立された緑倶楽部と弥生倶楽部が初めての競技かるたのかるた会であると書かれている。競技かるたのルールの統一が図られたのは明治37年(1904年)、ジャーナリストの黒岩涙香によってであった。黒岩は「東京かるた会」を結成し、第1回の競技かるた大会を開催した。その後、ルールについては微妙な修正を経て、現在に至っている。

競技かるたの全国団体としては、昭和9年(1934年)に「大日本かるた協会」により全国統一が図られた。その後、戦中、戦後の分裂を経て、昭和32年(1957年)に、昭和29年結成の全日本かるた協会に統一された。「全日本かるた協会」は平成8年(1996年)に社団法人の認可を受け、現在に至っている。協会では昭和30年(1955年)から男子選手の最強を決める名人戦を、昭和32年(1957年)から女子選手の最強を決めるクイーン戦を主催している(名人・クイーン参照)。

他に百人一首の団体としては、競技性よりも文化的側面を重視する「日本かるた院本院」、北海道で盛んな下の句かるたを行う「全日本下の句かるた協会」が存在する。
競技方法
基本ルール

競技かるたの公式大会では、大石天狗堂製のかるた札が用いられる。一試合では百人一首の100枚の字札のうち無作為に選ばれた50枚と、歌を詠み上げる読手(どくしゅ)用の百首全ての詠み札を使用する。

字札50枚を裏返した状態でよく混ぜてから互いに25枚ずつ取り、それを自分の陣地(自陣)の畳に上段、中段、下段の3段に分けて並べる。このとき札を並べる範囲は横87cmまでとなっており、相手の陣地(敵陣)にも同様に25枚が並べられた状態が完成形となる。その後15分間の暗記時間が設けられ、その間に自陣・敵陣の50枚の位置を暗記した後、競技が開始される。暗記時間中の最後の2分間は素振りが認められる。

暗記後は対戦相手、読手の順に礼をしてから競技が始められる。これはかるたは礼に始まって礼に終わるという「かるた道の精神」によって、定式化されている。競技開始時にはまず百人一首に選定されていない序歌(一般的には王仁の「なにはづの歌」)が詠まれる。これは一旦上の句・下の句が通しで詠まれた後に下の句だけがもう一度繰り返され、そこから詠み札が一首ずつランダムに詠まれていく。

詠まれた歌に対応する字札に相手より先に触れることで、その字札を自身の「取り札」とする(以降、字札のことを単に「札」と表記する)。自陣にある札を取った場合、その札を自身の横に置くなどして自陣から除外する。敵陣にある札を取った場合は、その札を陣から除外した上で、自陣にある札を任意で1枚選び、敵陣に送る(再配置させる)ことで自陣の札が1枚減った状態をつくる。後者を「送り札」という。一般的なかるた遊びのように取った枚数を競うのではなく、自陣の札を減らして敵陣より先にゼロにすることが勝利条件となる。

「読まれた札のある陣と反対の陣のいずれかの札に自ら触れる」と「お手つき」となる。


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