童門冬二
[Wikipedia|▼Menu]

童門 冬二
人事院総裁賞選考委員会委員として、人事院が公表した肖像写真
誕生太田 久行
(1927-10-19) 1927年10月19日(96歳)
東京府
職業小説家
国籍 日本
活動期間1958年 -
ジャンル歴史小説推理小説
主題まちづくり経営管理組織論
代表作『上杉鷹山』(1983年
『情の管理・知の管理』(1983年)
『吉田松陰』(2001年
『前田利家』(2002年
デビュー作太田久行名義:
『旅がらす大名』(1958年)
童門冬二名義:
『暗い川が手を叩く』(1960年
ウィキポータル 文学
テンプレートを表示

童門 冬二(どうもん ふゆじ、1927年昭和2年〉10月19日[1][2] - )は、日本小説家勲等勲三等。本名は太田 久行。
来歴・人物

東京下町にて誕生。東海大学附属旧制中学卒業。海軍少年飛行兵(予科練)の特攻隊に入隊するが、出撃しないまま終戦を迎える。東京都に入庁し、目黒区役所係員から、東京都立大学理学部事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長を歴任した[2]都庁在職中は、美濃部亮吉都政3期12年を知事のスピーチライターとして支え、都庁首脳として活躍した。1979年、美濃部の知事退任と同時に退職し専業作家となった[2][3]1960年には『暗い川が手を叩く』で第43回芥川賞候補となる[2]。在籍中に蓄積した人間管理と組織の実学を歴史の中に再確認し、小説ノンフィクションの分野に新境地を拓く。

1999年勲三等瑞宝章を受章[2]

ペンネームの童門について、スミスの本棚において[要文献特定詳細情報]、こう語っている。童門冬二は17歳で終戦を迎え、特攻隊から戻った少年に対し世間の目は罪人を迎えるようで、童門は傷つきグレた。その傷を癒したのが太宰治の著書であり、その純粋さ優しさに童門は取り憑かれた。童門冬二にとって太宰治はデーモンであり、ペンネームの童門はデーモンから来ている。
著作

『旅がらす大名』太田久行
大和出版 1958

『隠密流れ笠』太田久行 大和出版 1959

『飛び出したお嬢さん』太田久行 大和出版 1959

『隠密系図』太田久行 東方社 1960

『暗い川が手を叩く』童門冬二 大和出版 1960

『隠密社員』東都書房(Toto mystery) 1963

『みならい天使』若木書房 1963 ※漫画原作。講談社週刊少女フレンド』連載(作画:赤松セツ子)

『異説新撰組』東都書房 1964 のち春陽文庫  

『新選組一番隊』東都書房 1967 「人間の器量」

『明日は維新だ』人物往来社 1967 のち集英社文庫  

『新篇座頭市』東都書房 1967 のち富士見書房時代小説文庫 

『一匹狼』東方社 1968

ジョン万次郎学習研究社(少年少女学研文庫)1972 のち人物文庫 

『史説道三信長大陸書房 1972

『史伝勝海舟』大陸書房 1973 のち成美文庫 

親鸞 物語と史蹟をたずねて』成美堂出版 1973 のち文庫  

雲井竜雄新人物往来社 1974

西郷隆盛 物語と史蹟をたずねて』成美堂出版 1974 のち文庫 

『織田信長』あかね書房 1975 (嵐の中の日本人シリーズ)

『新撰組山南敬助』新人物往来社 1975 のち人物文庫

『新撰組 物語と史蹟をたずねて』成美堂出版 1976 のち文庫 

沖田総司 物語と史蹟をたずねて』成美堂出版 1977 のち文庫 

『沖田総司血涙録』新人物往来社 1977

『職業としての地方公務員 公僕を選んだ私の生き方』太田久行 中経出版 1978

美濃部都政12年 政策室長のメモ』太田久行 毎日新聞社 1979

『小説都庁』太田久行 主婦と生活社 1979 

武田信玄』あかね書房 1981 (嵐の中の日本人シリーズ)

『統率者の論理』学陽書房 1981 「組織を動かす」三笠書房知的生きかた文庫

『官吏意外史 日本史にみる公務員の虚像と実像』太田久行 公務職員研修協会 1981

『再建戦士 テンパーセンター 企業小説』実業之日本社 1982


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:46 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef