童男山古墳
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童男山古墳
墳丘・石室開口部
別名童男山1号墳
所属八女古墳群(うち童男山古墳群)
所在地福岡県八女市大字山内1281ほか(字北童男)
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度13分32.17秒 東経130度36分44.90秒 / 北緯33.2256028度 東経130.6124722度 / 33.2256028; 130.6124722座標: 北緯33度13分32.17秒 東経130度36分44.90秒 / 北緯33.2256028度 東経130.6124722度 / 33.2256028; 130.6124722
形状円墳
規模直径48m
高さ6.7m
埋葬施設横穴式石室
(内部に石屋形・刳抜式棺床)
築造時期6世紀後半-末
史跡福岡県指定史跡「童男山古墳」
地図 .mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}童男山古墳
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童男山古墳(どうなんざんこふん、童男山1号墳)は、福岡県八女市山内(やまうち)にある古墳。形状は円墳八女古墳群(うち童男山古墳群)を構成する古墳の1つ。福岡県指定史跡に指定されている。
概要

福岡県南部、八女丘陵最東部の星野川北岸の丘陵尾根上に築造された大型円墳である。一帯では古墳27基が分布して童男山古墳群を形成し、本古墳はそのうち中心的位置に所在する盟主墳になる。徐福が童男草女を率いて来たが当地で亡くなったとする伝承があり、「童男山」の古墳名はこれに由来する。江戸時代の文献に見え、当時には開口していたことが知られるほか、1987年昭和62年)に発掘調査が実施されている。

墳形は円形で、直径約48メートル・現在高さ約6.7メートルを測る[1]。埋葬施設は複室構造の横穴式石室で、南西方向に開口する。玄室・前室・羨道から構成され、羨道の大半は失われているが、推定復元で石室全長約18メートルを測る大型石室になる。石室内の玄室奥壁には石屋形と刳抜式棺床を、左右壁には刳抜式棺床を据えたと見られ(北西壁側のみ現存)、コ字形屍床を形成する。古くより開口して盗掘に遭っているため、副葬品は詳らかでない。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半-末頃と推定される[2]

古墳域は1956年(昭和31年)に福岡県指定史跡に指定されている。現在では、徐福伝説に基づき毎年1月20日に石室前で「童男山ふすべ」として徐福を慰霊する焚き火が行われる。
遺跡歴

寛延2年(1749年)の『寛延記』に記述。

嘉永6年(1853年)の矢野一貞『筑後将士軍談』に「童男山窟中之図」とともに詳述(磐井の墓とする伝説の記載)[3]

1928年昭和3年)刊行の『福岡県史蹟名勝天然記念物調査報告書』に記載(徐福伝説の初見)[3]

1956年(昭和31年)7月28日、福岡県指定史跡に指定。

1970年(昭和45年)、石室実測調査(八女市教育委員会、1971年に報告)[4]

1987年(昭和62年)、環境整備に伴う発掘調査(八女市教育委員会、1988年に報告書刊行)[3]

埋葬施設石室俯瞰図石室展開図石屋形展開図

埋葬施設は複室構造の横穴式石室で、南西方向に開口する。後室・前室・羨道からなる複室構造の石室であったが、羨道の大半は失われている。石室の規模は次の通り[4]

石室全長:現存8.6メートル(推定復元約18メートル[1]

玄室:長さ4.30メートル、幅3.98メートル(奥)・3.50メートル(手前)、高さ4.10メートル


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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