童夢_(自動車会社)
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この節の加筆が望まれています。
主に: 法人番号

株式会社童夢
DOME CO., LTD.本社
種類株式会社
本社所在地 日本
521-0013
滋賀県米原市梅ヶ原2462番地
設立1978年1月
業種輸送用機器
事業内容自動車及び関連用品の研究・開発並びに設計・製作・販売 ほか
代表者代表取締役 臼井里会[1]
関係する人物

林みのる

鮒子田寛

富田義一

天澤天二郎

外部リンク ⇒www.dome.co.jp
テンプレートを表示

童夢
国籍 日本
本拠地滋賀県米原市
創設者林みのる
関係者

鮒子田寛

奥栄明

カテゴリル・マン全日本F3000SUPER GT
チームズ
タイトル

全日本GT選手権(GT500)2(20002002

SUPER GT (GT500) 1(2010

ドライバーズ
タイトル

全日本F3000 1(1994

SUPER GT (GT500) 1(2010)

2014年のSUPER GT (GT500)
エントリー名ウィダー モデューロ 童夢レーシング
レーサー

山本尚貴

ジャン・カール・ベルネイ

フレデリック・マコヴィッキィ

伊沢拓也

マシン18. ウイダー モデューロ NSX CONCEPT-GT
タイヤミシュラン
テンプレートを表示

株式会社童夢(どうむ、: DOME CO., LTD.)は、1978年京都府で創業した自動車関連会社である。主に自動車ショーでのモデルカーの制作を行う一方、レーシングカーの設計・製造事業(コンストラクター)、レーシングチームの運営など、業務は多岐にわたる。現在は滋賀県米原市に本社を置く。創業者は林みのる
概要

本業は自動車ショーに各企業が出品するモデルカーの作成だが、一方で各モータースポーツカテゴリーに自社製作のレーシングカーを出場させている。一般市販車の製造販売に関しては、設立直後の段階で運輸省(現・国土交通省)が難色を示したため実現していない。

特徴的な社名は語感が由来となっている。会社が設立された1970年代、日本の自動車業界で横文字が多用されていたため、それに対する反発もこめて漢字二文字の社名が生まれたとされる。また創業者の林は命名について、「倒産しても洒落で済むような名前」を考慮していたとのこと。

過去に全日本F3000選手権FIA スポーツカー選手権(FIA SCC)といったシリーズを自社製シャシーで制した実績がある。1980年代はスポーツカーレーストヨタ自動車との関係が強かったが、1990年代以降は本田技研工業と長らくシャシーの共同開発を行っている(全日本GT選手権SUPER GT参戦用のホンダ・NSXフォーミュラ・ドリーム用シャシーなど)。2000年代前半にはロンドンに販売子会社を設立し、ローラ等と提携して世界的なレーシングカーの輸出展開を試みたこともあるが、商業的には失敗し、現在は事実上撤退に追い込まれた。後述しているように製造子会社の売却益を用い、2015年ごろを目処に独自のロードゴーイングカーを開発する方針を示していたが、これも開発中止となっている。

創業者・林みのるの歯に衣着せぬ発言から、過去にフォーミュラ・ニッポンにおいては運営方針の不一致を理由に撤退しているほか、2009年にはF4におけるカーボンモノコック採用を巡りモータースポーツ専門誌と論争を繰り広げている[2]。この点について林は「自分があまりにも耳の痛いことを言うので、嫌われているからだ」と分析するに至っている。

童夢は複数の自動車メーカーと顧客関係を持っていることなどから、林などの上層部やレーシング部門の一部などを除いて、人事などの企業詳細は発表していない。社内の見学についても同様に原則として謝絶しているが、レース専門誌やテレビ番組などで社内の様子が紹介されることは少なくない。
沿革

童夢のルーツは、1965年に林みのるが設計・製造し、浮谷東次郎の運転でレースに出場したホンダ・S600改造車(通称カラス)に始まる[3]。1967年には「マクランサ」を設立し、兄の林みのるがレーシングカーの製作、弟の林正史がコンサートの音響システムの開発やレンタルを行ったが、財政難のためにレース部門は撤退した。

林みのるは工業デザインを経て車造りに復帰するが、マクランサ時代の反省から、ビジネスとして成り立つスポーツカー製造を目指し、1975年に童夢プロジェクトをスタートさせた[3]。当時は林兄弟の従兄である林将一が営むホイールメーカー、ハヤシレーシング(大阪府)内に間借りするような形で計画が進められた。童夢-P2

1978年には正式に会社登録し、京都府京都市左京区宝ヶ池に本社を建設[3]。同年のジュネーブショーで「童夢-零」という試作車(スーパーカー)を発表し、斬新なデザインで一躍脚光を浴びた。童夢-零の量産化を目指したが、当時の運輸省の不認可により計画は難航。アメリカ法人「DOME USA」を設立し、生産試作車「童夢・P2」の認可取得を目指したが、これも実現せずに終わった。

しかし、マーケティング分野のノウハウを持っていた林正史が数多くの玩具メーカーと契約し、童夢-零のキャラクター使用権料を稼いだことで、会社の経営基盤が安定した。おもちゃ業界では商品の回転が速いことから、おもちゃのベースになるニューモデルの製作を依頼され、童夢-零RLを製作して1979年ル・マン24時間レースに参加。これをきっかけに、レーシングカーのコンストラクターとしての道を再び歩き始め、今日に至っている。

1981年にはメンバーだった三村建治小野昌朗、入交昭廣(入交昭一郎の兄弟)らが独立して東京R&Dを設立した。ジオット・キャスピタ

1980年代末のバブル景気時には服飾メーカーワコールの出資企業「ジオット」が企画した国産スーパーカージオット・キャスピタ」を設計・製造したが、この車も市販計画が頓挫した。

2000年には米原工業団地の中にレーシングカー開発用の50%スケール風洞風流舎」を建設。ムービングベルト式風洞を設ける等、風洞施設としては国内のみならず世界的に見ても類の無い充実した施設を誇っている。また同年、ロンドンに販売子会社としてDome Cars Limitedを設立した。2001年には元ムーンクラフトの小野直衛が設立した「有限会社ウィスカー」を買収する形で、製造部門を担当する子会社「株式会社童夢カーボンマジック」を設立。2006年に本社及び童夢カーボンマジックを風流舎の隣接地に移転し、日本国内におけるオフィス機能を米原工業団地に「童夢レーシングビレッジ」として集約する一方で、タイに製造子会社「童夢コンポジット・タイランド」を設立した。

この頃航空機の世界で炭素繊維を含む複合材料が多用されるようになってきたことなどから、レーシングカーのカーボンモノコック等の製造で培ったノウハウを武器に、航空機部品の製造等の分野にも進出した(実際の製造業務は童夢カーボンマジック、童夢コンポジット・タイランドが担当)。

またJR総研が所有する米原駅の傍らにある風洞施設は童夢が設計、製作に関与している。林みのるとJR総研の関係者が個人的に付き合いが深い事から、建設に関して協力したということである。このJR総研の風洞には童夢製のムービングベルトが納入されている。風洞の風洞全体の計画、低騒音化は三菱重工業により実現されている。低騒音化に関するノズルの表面処理技術には国内に無い技術が適用されている。

2012年8月末をもって創業者の林みのるが社長を退任。後任には林の学生時代からの友人である鮒子田寛が就任した。この段階では、今後林は「デザイン管理のみを担当する」としていた[4]

2013年3月には製造子会社である童夢カーボンマジック、童夢コンポジット・タイランドの両社を東レに売却し[5]、新たに東レ・カーボンマジックとなった。林はこの売却について「売却益を独自のロードゴーイングカー開発の資金に充てる」とした。このロードゴーイングカーは2015年ごろの完成を目指すほか、完成車としての開発だけでなくSUPER GT・GT300クラス向けのマザーシャシーとしての流用も視野に入れていたが[6]、林個人の離婚問題などの影響を受け、2014年8月にロードゴーイングカーの開発断念を公表した[7][8]。ただマザーシャシーとしてのモノコックは完成に至っており、同月にトヨタ・86のボディを架装した「M101-86」を公表した[9]

また同月には風洞「風流舎」をトヨタ自動車に売却する方針も公表[10]。前述の製造子会社の売却に続く売却により、大幅に業容を縮小することになった。なおこれらの売却に伴い、近日中に本社を移転する方針も明らかにされている[8]。同年10月には、2015年7月をもって林が同社株式を手放して相談役に退き、大王製紙の創業家一族で元同社取締役の井川高博が後任のオーナーに就任する方針が発表された[11]

2015年7月15日付で新体制へ移行[12]。鮒子田寛が社長を退任して副社長へと退き、3代目社長として元ジャニーズ事務所取締役の橋拓也が就任した。林みのるは予定通り相談役となっている。

2016年5月、米原駅近くに新築した新社屋に移転。また同時にカーボンコンポジット分野においてKCMGとの提携を発表した[13]

なお林みのるは、2016年に自身の資産管理会社として「株式会社童夢ホールディングス」を立ち上げているが、名前こそ類似しているものの童夢とは一切関係のない別会社である。

2018年6月から2019年1月にかけて本社社屋の拡張工事が行われ、大型オートクレーブやNC加工機などの設備が導入され、同年2月より本格稼働している。また同時にKCMGとの提携を解消した[14]

2019年3月に童夢の公式HPで、同年4月1日より風流舎を同社の元で管理運用していく事を発表している。[15]

2020年7月、高橋拓也が社長を退き、後任に元オートバックスセブン取締役の松村晃行が就任した[16]

2021年1月、Bcomp社の天然繊維をプリプレグ化し販売を開始した[17]

2023年10月、松村が社長を退任。後任には元レースクイーンで、2014年より取締役を務めていた臼井里会が就任した[1]
主な開発実績
プロトタイプレーシングカー

『童夢-零』のレーシングカーバージョンとして『童夢-零RL』を開発し、1979年のル・マン24時間レースに出場。この年から1984年まで、フォード・コスワース・DFVエンジン搭載車でル・マン24時間に参戦を続ける。

1982年、国産初のグループCカー、トムス童夢・セリカCを開発、同年WEC-JAPANに参戦、5位で完走する。1983年トムス83Cの車体製造を担当、同シャーシにコスワースDFLエンジンを搭載した童夢・RC-83/フォードで全日本耐久選手権(後のJSPC)、および富士ロングディスタンス・シリーズ(富士LD)参戦。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:87 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef