竟陵郡
[Wikipedia|▼Menu]

竟陵郡(きょうりょう-ぐん)は、中国にかつて存在した晋代から唐代にかけて、現在の湖北省中部に設置された。
概要

299年元康9年)、西晋により江夏郡西部が分割されて竟陵郡が立てられた。竟陵郡は荊州に属し、郡治は石城県に置かれた。

454年南朝宋孝建元年)、竟陵郡は郢州に転属した。南朝宋の竟陵郡は萇寿竟陵霄城新市新陽雲杜の6県を管轄した[1]

南朝斉のとき、竟陵郡は萇寿・竟陵・霄城・新市・新陽・雲杜の6県を管轄した[2]

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、竟陵郡は廃止されて、郢州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、郢州が竟陵郡と改称された。竟陵郡は長寿藍水?川漢東清騰楽郷豊郷章山の8県を管轄した[3]

622年武徳5年)、唐により隋の?陽郡が復州と改められた。742年天宝元年)、復州は竟陵郡と改称された。758年乾元元年)、竟陵郡は復州と改称された[4]
僑置竟陵郡

561年天嘉2年)、南朝陳により武昌・国川の2県を管轄する竟陵郡が立てられた[5]
脚注^宋書』州郡志三
^南斉書』州郡志下
^隋書』地理志下
^旧唐書』地理志二
^陳書』世祖紀










晋朝の行政区分
西晋

司州

河南郡

?陽郡

弘農郡

上洛郡

平陽郡

河東郡

汲郡

河内郡

広平郡

陽平郡

魏郡

頓丘郡

豫州

潁川郡

汝南郡

襄城郡

汝陰郡

?郡

魯郡

弋陽郡

安豊郡

梁国

沛国

?州

済陰郡

泰山郡

陳留国

濮陽国

高平国

任城国

東平国

済北国

青州

済南郡

城陽郡

長広郡

斉国

楽安国

東?国

徐州

東海郡

東莞郡

広陵郡

臨淮郡

彭城国

下?国

琅邪国

冀州

勃海郡

博陵郡

常山郡

趙国

鉅鹿国

安平国

平原国

楽陵国

章武国

河間国

高陽国


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:53 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef