竜の歯
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

この項目では、対戦車障害物について説明しています。化石に由来する生薬については「竜骨 (生薬)」をご覧ください。
ジークフリート線跡に残る竜の歯(ドイツのアーヘン近郊)

竜の歯( ドイツ語: Drachenzahne、: Dragon's teeth )は、戦車機械化歩兵の移動を妨げるために設置される鉄筋コンクリート製の四角錐防御用障害物である。これによって戦車を減速させて、対戦車兵器による攻撃を容易にするキルゾーンを形成するものだった。第二次世界大戦中に最初に使用され、特に欧州戦線ナチス・ドイツ西部国境を守るジークフリート線において広く採用された[1][2][3]
第二次世界大戦

竜の歯は、 ヨーロッパ戦域でいくつかの軍隊によって使用された。ドイツ国防軍はジークフリート線と大西洋の壁でそれらを広範囲に使用した。通常、各「歯」は90 - 120 cm (3 - 4 ft)の高さで規格化されていた。

地雷がしばしば個々の「歯」の間に敷設され、さらに歩兵を妨害する有刺鉄線や、戦車をさらに妨害する斜めに配置された鋼鉄の梁など、「歯」の列に沿ってさらに障害物が設置された。1940年から1941年の英国では多数が設置され、ドイツ軍の英国本土上陸(アシカ作戦)に備えていた。「地雷原の後ろにはドラゴンの歯があった。それは10?30メートル幅のコンクリートの床の上に設置され、床は地中1、2メートルの深さに作られていた(床の下にトンネルを掘って爆薬で吹き飛ばすことができないようにである)。この床の上に「歯」、つまり頭を平たくした強化コンクリートのピラミッドが並んでいた。高さは最前列で1メートルほど、最後列で2メートルである。戦車が通れないように互い違いに、適度な間隔で設置されていた。この歯の間には地雷原、有刺鉄線、そして砲撃ではほとんど破壊できないトーチカがあり、これはドイツ側から前線すべてにわたって十字砲火が可能なように作られていた。トーチカを奪取するには歩兵が背後に回って入口を攻撃するしかなかった。しかし第一のトーチカ列とドラゴンの歯の後ろには必ず第二の列があり、たいてい第三の列があり、時には第四の列まであった。」[4]

膨大な数が設置され、また、耐久性のある構造のため、今日でも何千という竜の歯が、特にジークフリート線の跡地で見られる。

2009年、英国ウェールズのフェアボーン海岸に残る、第二次世界大戦時の竜の歯。戦車の上陸を阻止するために設計された。2009年撮影。

英国サリーのウェイバリー修道院近くに残る「GHQ線」の竜の歯。2006年撮影。

1944年、ジークフリート線を突破して竜の歯を通り抜けるアメリカ陸軍部隊。

イタリア北部に残る「アルプス壁(英語版)」の竜の歯

第二次世界大戦後(参考)スイス製チョコレートバーのトブラローネ

スイスは、特定の戦略的地域で竜の歯列を維持し続けている。軍事的俗語では、これらの構造物はチョコレートバーにちなんで「トブラローネ線」と呼ばれている[5]

ドラゴンの歯は、 韓国の非武装地帯の境界線に沿った一部の領域にも存在している。ベルリンの壁東ドイツ側でも使用されていた。

この英単語は現在でも生き延びており、現在では、農村の駐車場や道路沿いなど、車両の侵入を阻止するために地面に設置された支柱やペグの列を表すのにも使用できる。「ボラード」はそのような柱の別名である。

ユーゴスラビアの崩壊後に形成された国など、一部の国では移動可能な「歯」が製造され、戦略的な場所の道端に仮置きされており、有事には持ち上げて道路に置くことができる[要出典]。

世界ラリー選手権(WRC)のドイツラウンドであるラリー・ドイチュラントのいくつかのステージは、バウムホルダーの軍事訓練場に属する道路を走っている。道路は「ヒンケルシュタイネ(: Hinkelsteine)」と呼ばれる竜の歯で囲まれている。それらは戦車が道路から逸れるのを防ぐために設置されているが、コース外に飛び出したラリーカーを手荒く破壊する障害物としても機能する[要出典]。

2022年ロシアによるウクライナ侵攻において、ロシア連邦軍ウクライナの占領地域において、反攻してくるウクライナ軍に備えて、塹壕地雷原と組み合わせた竜の歯を設置している[6][7][8]
関連項目

野戦築城

工兵

カルトロップ

チェコの針鼠

ジャージー・バリア

スパイク・ストリップ(英語版)

トブラローネ線(英語版)

脚注^ Wilson, Joe (1999). The 761st "Black Panther" Tank Battalion in World War II. McFarland. p. 150. .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 0786406674. "This section of the Siegfried Line sat in the middle of the Hardt Mountains, where the landscape was dotted with pillboxes and dragon teeth tank obstacles." 
^ Bohner. “ ⇒Baptism of Fire on the Siegfried Line”. 11th Armored Division Legacy Group website. 2013年2月26日閲覧。 “it was late afternoon on 18 Feb when [we] passed through the Siegfried Line dragons teeth”
^ Owens, Emiel W. (2006). Blood on German Snow: An African American Artilleryman in World War II and Beyond. Texas A&M University Press. p. 56. ISBN 1585445371. "Human-made obstacles such as the "dragon teeth" were integrated carefully into the defense system of the line." 
^ Ambrose, Stephen (1998). The Victors: Eisenhower and his Boys ? The Men of World War II. New York: Simon & Schuster. pp. 256. https://archive.org/details/victorseisenhowe00step 
^ Muehlemann (2008年6月9日). “Ligne fortifiee, un temoin du passe a valoriser” (French). 24 Heures. 2012年2月26日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2009年8月9日閲覧。
^ 露軍が「防衛線800キロ・メートル」スペイン紙報道 ウクライナ反攻に備え『読売新聞』朝刊2023年4月22日(国際面)同日閲覧


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:29 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef